見出し画像

「ゆたぽん」は誰が創り上げた?ー「ゆたぽん論争」議事録ー

YouTubeはいつ見ても面白いなぁ!!!

今回はその中でも抜群に面白いと思ったYouTuberについて書こうかと。

「少年革命家ゆたぽん」というYouTuberは10歳という年齢ながら、抜群のトーク力で世間を賑わせている。

私は食わず嫌いなところがあり、「ゆたぽん」を少し敬遠していた節がある。だが動画を一本を見て驚いた。圧倒的なトーク力と動画の見やすさに。誤解が生じかねない物言いもあるが、私の10歳の時とは比べものにならない。「マスク二枚送るぐらいだったら、マスクの作り方を教えればイイじゃん」と平然に言ってのけるあたり、「ゆたぽん」はやはり天才ではなかろうか。

以前ひょんなことから、大学研究室の片隅で「ゆたぽんは学校に行くべきか?」という謎極まりない論争が起きた。論争が起きるまでの経緯はここでは割愛させてもらう。

子どもに普通教育を受けさせないのは、この国では「三大義務」に反するので、「ゆたぽん」が学校に行くのは憲法的には自明のことだと思う。この論争でも、当然この意見が出た。


確かにそうなのかもしれない。小学校・中学校に行くのは、過酷な精神的被害や余程の事情が無い限り、当たり前である。誰も疑わない道理であろう。

ただ、この「ゆたぽん」というYouTuberの最大の特徴は、その今まで誰も疑いもしなかった道理に対するカウンターにあると思う。

つまり、「不登校YouTuberと公言しているなんて、変わったヤツもいたもんだな」と思った人たちが「ゆたぽん」の動画をタップして見る。TwitterのようなSNSでさらに拡散されて、認知度が上がる。そして、とうとう男汁満載の一大学の研究室の論題となるまでに知れ渡る。この「ちょっと変わったヤツだな」と動画をタップするだけで、あらゆるコンテンツが作られる今の世界のシステムというのは、まさに現代を生きている実感を与えてくれる。

前提として「ゆたぽん」は不登校だからこそ、「ゆたぽん」ではないか。不登校という異質性が武器となっている現状を考慮しないと、「ゆたぽん学校行くべきか」論争は迷路へと誘われるだろう。

「ゆたぽん」に批判しようとしても、動画をタップしていては、「ゆたぽん」は成長するだけである。

動画冒頭でよく言う「みんな見てくれてありがとう!」の「みんな」には批判者も当然含まれている。「ゆたぽん」の動画を見ないと「ゆたぽん」のことを知ることは不可能だからだ。

この男汁満載の論争が起きてしまった時点で、我々はすでに「ゆたぽん」の異質性に魅了されていたのだろう。学校に行くべき派の方には申し訳ないが、異質性の虜となってしまった我々が改めて「学校に行くべきだ」と言うのはあまりにも虚しい。

もしそれでも批判しようと思ったら、やり方としては無視するしか無いだろう。このネット社会において「批判」することなんて不可能に近い。

批判したければ無視。無視すればやがて消滅する。これがネット社会の片鱗を通して得た私の雑感である。

私は今、「ゆたぽん」の動画を見ている。「学校へ行けばいいのに」と思うのはもうやめた。

なぜなら、どんな理由があれ、再生回数に貢献している時点で、「ゆたぽん」を成長させているにほかならないからだ。

#エッセイ #日記 #ゆたぽん #YouTube #YouTuber


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?