手洗いをしながら想うこと

考えることの8割が無益なことで成立している私は、今日もセグウェイでウィーンと音を鳴らしながら登校することを夢見て、文章を書いている。

そんな小生でも、有益なことはしている。それは手洗いとうがいである。社会の圧力と混沌を一気に受けた掌を小生は入念に洗う。そうすることで、明日を健全な1日にすることができる。

ここで、小生は自分の掌を見ながら色んな人と握手を交わしたことを思い出す。黒髪の短髪美女。10000人以上フォロワーがいるTwitter界のインフルエンサー。そして、王貞治。

王貞治に関しては本当に握手を交わしたことがある。小生が中学生の時、球打ち(野球)に勤しんでいたころ、野球教室の特別ゲストとして王さんが来られた。アイドルと握手するかのように、野球教室の最後には大勢の球打ちキッズが王さんのもとに集まった。私ももちろん、王さんとの握手に心躍らせていた。

そして、握手終了。

小生、かく語りき。あの握手のことを。
「うちのおじいさんと大して変わらなかったなあ」

そして時は令和。小生は今日も手を洗う。
後ろめたさは全くない。なぜなら、王貞治である。男だからである。他に理由があろうか。(反語表現)
王貞治と握手して「一生、手を洗わないぞ!」と言うほど、私も若くはない。歳を取ったのだ。

新型コロナウイルス感染拡大、誠に辛い世の中である。
志村けんさん、ご冥福をお祈りします。

#志村けん  さん

#エッセイ


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