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名前の感覚は時期によって変わるなぁと

おはようございます。と、書いてたけど夜になりました!

わたしは久しぶりにブログ書こうとすると、ちょっとクッションがいるんだなということがわかりました。笑

とにかく始め出す。っていうことがわたしの攻略!

ということで昨日書いていて、また別のことをふと考え始めたのですが


それは、「名前」についてです。

(この前からしれっとポッドキャストというのをやっていますが、これでいいのか全然わかりません!笑)



アップし間違えたポッドキャストにもちょっと話していた話し。



私の本名は、どちらかというと「苗字」のほうがインパクトがあって結構「苗字」で呼ばれることが人生の前半は多かったし、あまり自分の下の名前が好きじゃなかったので、それでよかったくらいに思っていました。


ただ、20代後半くらいから、「下の名前」で呼ばれることが多くなってきて、だんだん自分の好きじゃなかった名前が染み込んできている感じがあり、ふと下の名前の数秘の計算方法で数字を出したら、

「2」

だったのでした。


それで、さらに思い返していったときに、わたしは小さいころから「4」っていう数字に執着している節があって、「4」という数字がすごく好きだったのです。

それで、だんだん「4」一択の人生から、「2」が好きだったり猫の日ってことで、なんとなく2のイメージが自分に浸透してきたり目につくことが多くなってきた。

そういうことを考えたときに、その「2」と「2」が重なってきたのかも。ということを名前の数秘を感じていて思ったことでした。

あ、それでいうと、ソウルナンバー「22」は、「2」でもあるし「4」でもある数字で、なんか小さいころに感じていた数字に対する感覚って、実は合っていたんだな〜って勝手に辻褄があっていく。(こうやって書いていく間にも繋がっていく数字たち・・・!笑)

小さい頃は、いろいろわかっているんですね。しっかりと感じている。自分を全部使っていて、感覚ですべてわかっているんだな。

それでいうと、私は今じぶんの名前にすごく愛着があって、好きだなと思えている。昔の「なんとなく好きじゃない」という感覚から「好きだな」に変わってきていて、その体感の違いを今感じています。

「2」って、誰かをサポートする力に長けていたりとか、受け入れる力、みたいなものだと思うのですが小さいころからそういう役割をしすぎてきっと疲れちゃったんだろうな〜。いざ!封☆印!って感じで閉じていたけど、ここ数年で、そういうところも使っていこうとする動き(?)も感じています。

もう、自分で調節していく術は身につけたぞよ!

感覚は開いて使っていくものなので、抑えていたら鈍くもなるけど良さも抑えてしまうもんねぇ。

なんか、そういうことをじわじわ感じています。



名前って意外にずっといろんな思いを感じているものなんだな、と。

みなさんも自分の名前になにか感じることってありますか?


それではー!

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