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隣の芝生が青く見えたら、自分の人生と向き合え

隣の芝生はほんとに真っ青なぐらい青く、美しく育っているなあとよく思う。
よく言えば好奇心旺盛で、悪く言えば目の前のことを蔑ろにしがち。

そんな時間があるなら自分の人生と向き合いなよ、と言うnoteです。

自分の芝生をちゃんと観てる?

隣の芝生が青く見える時、実際すべきことは自分の芝生をきちんと観察すること。

隣の芝生をいくら眺めても、自分の芝生は全く変わらない。
隣の水やりのタイミングを知っても、とてもいい肥料を使っていることを知っても、自分の芝生に合うかはわからない。

結局自分の芝生を青々しくするには、自分の芝生の現状と、青くない原因を見極めて、自分で考えて行動するしかない。
芝生と向き合って、悩んで育てていく中で、自分も成長することができる。

外から上部だけのテクニックを取り入れてもいいことはないのだ。

▼私の「隣の芝生は青い」あるある

自分の中での隣の芝生が青く見える瞬間を3つ紹介する。


1. 「素晴らしいITツール」と「社内で目の当たりにする問題」

社内システムを担当する自分にとって、ちょっとでも良さそうなツールがあると、「とりあえず導入すればいいことあるんじゃね?」みたいに考えてしまうことがある。
目の前の問題の原因を分析することもなく、ツールを導入すればいいじゃんと言う浅はかな思考。

確かに素晴らしいツールは変革をもたらしてくれるかもしれないけど、自分で考えて行動することなく、ツールに頼るのはどうかと思う。


2.「悩みを解決してくれそうな本」と「自分の悩み」

「あなたの生産性を劇的に高める時短テクニック100選」
最近はこんな薄っぺらい本は避けられるようになったが、こういう本に飛びついてしまうことがよくあった。
今でもそれらしいタイトルには興味をそそられてしまう。

なにかの本で「読書は害悪でしかない」と言う考えがあることを知った。
読書することで、作者の思考が自分に押し付けられ、自分で考えることができなくなってしまう、というもの。
なんでもかんでもがむしゃらにインプットしてしまう自分には耳が痛いけど、確かにその通りだと思う。
他人の考えた思考をなぞっても、自分の中に深く取り入れられるものなんてほとんどない。

自分で深ーーく悩んで、出した答えは自分の信念として刻まれる。
そういう悩むチャンスを、読書で捨てるのは非常にもったいない。


3. 「他人の人生」と「自分の人生」

キラキラと自分らしく生きている他人は青々しく見える。

そのくせ自分の人生については考えることから逃げて、何も行動しない。
青く見える他人は陰で努力しているのに、そこに目を向けず、ただ眺望の眼差しを向ける。

他人から刺激を受けるのはいいことだと思うが、自分の行動につなげられないのであれば、それは良い刺激とは言えない。


大人になるために

20代になって友人と「実際の20代ってまだまだ子どもだよね」って話すことが多く、「大人」ってなんだろうと考えることがあった。
今の自分なりの答えは「自分の人生について考え、行動し、結果を受け止められる人」だと思う。
そんな大人になるには、自分の育てるべき芝生と向き合い、何をすべきか考え、必要な行動をして、結果を受け止めていかなければならない。


隣の芝生を眺めている暇があったら自分の人生と向き合おう。

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