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あなたのお名前は読めません、根本敬の「性マヌケ説」、『牯嶺街少年殺人事件』と『愛がなんだ』のはざまで、などの一日。#kurukeredo


2019年5/7(火)2905


おはようございます。
珍しく朝に書いてみます。



https://twitter.com/toiimasunomo/status/1125544473558011905
作品の水準が同程度だった場合、
筆名の読み方がわからない人は、
慌ただしいラジオの現場で紹介が
後回しにされる可能性すらあります。
よく見かける名前でも、
読み方の可能性が複数ある場合は多い。
早乙女さんとか。
我妻さんとか。
「自分の名前が
読みまちがわれないか否か」を
客観視するのも短歌をつくる力の
一部だと私は思います。
枡野浩一は、
読みまちがわれることは少なく、
書きまちがわれることは多い名前。


手術日がひとつき延期になり、
あっさり済ますつもりだったから
本当に気が滅入っているのですが、
「手術日までしか自分が生きないかも」
という前提で、
一日ずつを過ごしてみようと思います。
淡々と。
私は自分の仕事について、
吉田豪さんのインタビュー本で
語ったような意識でいるため、
あんまり長生きに興味がない。
穂村弘さんに何度か
「欲がない」
と言われたり
書かれたりしたことがあり、
どういうことかぴんと来てないが、
死ぬのが怖い人と、
「比較的」そうでない人がいると
昔からずっと思っていて、
私は後者だとは思う。
それは度胸とかではなく、
単なる性質。
飲み会でも、
帰り難くてずるずる居残ったりしない。
すぐ帰る。
恋も生まれない。
まあアルコールが飲めないせいか。
しかし、
痛かったり苦しかったりする状態で、
生き続けるエネルギーはとても弱い。
「自分の意志で死ねるほど健康」
というのは、
幸福なことだと思っています。


ゆうべは仕事の関係で、
ZARDの曲をずっと聴いていました。


『牯嶺街少年殺人事件』の
エドワード・ヤン(楊徳昌)監督の遺作、
『ヤンヤン 夏の想い出』のことは、
『もう頬づえをついてもいいですか?』
に書いています。
『牯嶺街少年殺人事件』の感想、
ゆうべのは短すぎたので、
もう少し書きます。

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