小説『喫茶店のマドンナ』#25(終)
吉野おいなり君さんが書いたこちらの小説の最終話になります。1話と最終話以外のお話は、僕含めて皆さんの頭の中にありますのでよろしくお願いします。
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情熱的な愛だとか、見も心も焦がすような恋だとか、ゲレンデが溶ける様なキスだとか、そう言うのは全部小説や漫画、ドラマや映画の中の話で、画面の向こう側の【嘘っぱち】で、ありもしない【空想】で、自分には関係の無い物だとばかり思っていた。
―――カランコロンカランッ
この鈴の音を聴くと、あの夏を思い出す。かっこつけて回想してみたけれど、あの夏と言ってもまだ1ヶ月前の話だ。僕の人生に「あの夏」という青臭いワードが生まれたのも、「大切な人」というかけがえのない事実が心に刻まれたのも、全部全部全部、君のおかげなんだ。
君のおかげで僕は今、「喫茶店の入り口にある鈴」を青空に向けながら大学の園庭で寝そべる完全異常者になっている。今間違いなく、遠目に見えるカップル達の笑いものになってるだろうな。だから何だよ。こちとらお前らが人生1000回繰り返しても体験できない夏休みを過ごしてたんだぞ。言っとくけど、そのベロチューじゃ僕には勝てないからな。
「こじらせすぎだってば!私が今読んでる小説の主人公そっくりだよ。」
とか何とか言いそうだよな、お前が隣にいたら。鼠色のたぶんアンティークな感じでオシャレであろう鈴も、先日の火事のせいで少し黒くくすんでいる。それがまるで、僕の思い出にべっとりと影がついたようで目を背けたくなった。君が存在した証は、今この瞬間これしかないのに。いたずらに鈴を鳴らしていると、ふわり。いつもの死ぬほど良い香りがいたずらに僕の鼻孔に着弾した。
「ここ、いいかしら。」
滝澤教授の黒タイツは今日も眩しい。…僕もだいぶが余裕が出来てきたな。あの時散々滝澤教授に泣きついたり怒鳴ったり散々だったのに。少し起き上がって返事をした。「ありがと。」そう言うと滝澤さんはぺちゃんこになったコンビニサンドイッチを鞄から出す。三角定規みたいになってるけど、それでも様になってしまうのがこの人の凄いところだ。さすが、”喫茶店のマドンナ”。
「まだ少し暑いっすね。」
「そうね。」
ホントにそう思ってんのかよ。しかし大河の言うマドンナが大学の女教授として赴任してくるなんてこの夏はとことんドラマチックだったな。
「みなもちゃんの事だけど。」
…だいぶ余裕が出来てきたとか言ったけれど、いざその名前を聞くと頭が揺さぶれて一瞬ゲボ吐きそうになった。でも同時に、彼女の存在が僕の世界の外にもあるということに少し安心した。滝澤さんがその平べったい何かを小さな口に一口運んで淡々と話を進めてくる。
「まだ”声”は聞こえる?」
「いえ、あの時から全く。」
何回目だろうかこの会話は。滝澤さんは会うたびに確認してくるのだ。次の質問も知ってるから、
「姿も見えないし、何ていうか、夢だったんじゃないかって。」
「そう。」
滝澤さんはランチを終え、エナジードリンクを静かに飲み始めていた。相変わらず食うのが早い。時短のためにサンドイッチをわざわざ潰して食う女を僕は他には知らない。もしかしたら美味いのかもしれない。とか考えてたらエナジードリンクを飲み干したりしてて、缶を傍らに置いた滝澤さんが口を開いた。
「夢に…しておくつもり?…好きだったんでしょう?」
「え…。」
滝澤さんは少し俯いた後、顔を上げて
「ごめんなさい、科学的じゃない事を言ってしまって。」
なんかいつもと違う台詞を吐く滝澤さんに面食らってしまった。なんだよそれ。そりゃ夢にしておくつもりなんて更々無ければ、みなもの事は今でも大好きだよ。バカみたいだけど。
「みなもちゃんのお母さんが目を覚まして、今事情聴取を受けてるわ。」
「…そうですか。」
みなもの母親で、そして僕らの居場所「喫茶フルール」を奪った張本人だ。人は死ななかったけど、放火の実刑は重いだろう。ほんとぶん殴ってやりたい。でもあの母親をそうさせてしまったのは…僕の潜在的な願望が、病床に伏すみなもの思念を呼び寄せてしまったからなんだ。みなもの「外の世界に出たいという願望」が、生霊のような存在になって僕の目の前に現れた。この不思議な、「喫茶店の鈴」の仕業で。でもそれが、みなもの肉体を蝕んでいてた。それを止めようとしてみなものお母さんは。
滝澤さんは立ち上がって
「今日は病院には行くの?」
「マスターなら、元気そうでしたよ。貴重な髪の毛が燃えたから弁償しろとか何とかうるさかったですし。もっと大事な本とか燃えたでしょって。優しい人です。」
「違う。第2病院の方。」
「それは…。」
木船(きふね)みなもが入院している病院だ。あの日以来、行っていない。意識は無いけれど、やっぱり本物の方もどうかしてるくらい綺麗だから。そして何より罪の意識が、僕をあの場所から遠ざけていた。
「行ってあげて。今日は。」
「え…。」
「たぶん…そういうの、大事だと思うから。」
◇◇◇◇◇◇
脳科学の人がそう言うなら…。そう何とか自分の中で理由付けて、僕は渋谷第2病院001号室の前にいた。病院特有の消毒液みたいな匂いが、ここがフルールじゃない事実を叩きつけてくるようで何度来ても無力さしかない。
「お邪魔しまーす…。」
正解なのか分からない挨拶をしながら扉を開ける。窓が開けられていて残暑の風がふわりと流れ込んでいて、ベッドがひとつ。枕元には少し枯れたひまわりの花が生けられていて。
でも僕は、この扉を開けた途端、
呼吸が止まった。
「みなも。」
窓の外を虚ろに眺める美少女に視線が吸い込まれてしまった。透き通るほどに白い横顔と、同じくらい透き通るくらい美しい黒髪。この衝撃、なんだか初めて逢った時みたいで懐かしくて、儚くて、涙が、止まらなくて。
「目が覚めたのか!?ちょっ誰か!」
病院にあるまじき大声を出した僕に、きょとんと澄んだ瞳がこちらに向けられる。風がその黒髪をゆらりと吹き流した。
「だぁれ?」
無垢な表情が胸に突き刺さって立っていられない。そうだよなそうだよなそうなるよな。僕が毎日のように逢ってた彼女はこの子であってこの子じゃないんだから。
「えっと、あの、えっとえっと君のその昔の友達というか。あ、怪しい者ではございません!」
何言ってんだ僕は。こんな時でも女の子との対面では不正解を叩き出す。そして自分で放った”友達”って言葉が重たくのしかかって苦しい。
「ふふふ。」
「え!?」
笑われた!でもその笑顔、ずっと見たかったやつ。花火大会の縁日で僕がかき氷を頭から被った時と同じ笑顔。
「変な動き。あはは。」
自分の現状なってるポーズを見下ろしてみると、ガニ股で両手を胸の前で合わせて少しのけぞってるなんとも情けない状態だった。
「あっごめん!!」
急いで姿勢をバタバタ直していると鞄の中の鈴が後ろの壁に当たったのか、
ーーーカランコロンカランッ
病院に似つかわしくないメロディーが響いて。
みなもがぽかんとしていて。
静寂があって。
「あ…れ…?」
みなもの頬を涙が伝っていた。
「どうして泣いてるの?どうしたの”私”…。」
ぽろぽろと、涙が溢れていく。抱きしめてやりたいけど。
触れるには儚すぎて出来なかった。
手を伸ばしたら、幽霊みたいに透けて消えちゃうんじゃないかって。
「あのさ…。」
女の子が泣いてるのにハンカチのひとつ差し出すどころか、勝手に喋りだす僕自身に辟易としながら。
「また、来てよ。」
「え?」
「たぶんその…本とかコーヒーとか好きだろ。その、恋愛小説しか読めないのにさ、いっちょまえに読書家気取ってさ。」
何言ってんだ?僕は。
「コーヒー飲めないのに喫茶店が大好きで、僕にコーヒーのブラックはどんな味なのか聞いてきてうるさいんだよ。」
止まらない。
「僕の屁理屈とか愚痴とか何の生産性の無い話をまっすぐに聞いてくれてさ。バカみたいな笑顔で。僕の行くとこ向かうところにひょこひょこ付いてきてさ。唇がめっちゃ柔らかくて…。死ぬほど綺麗で…。」
涙が、止まらない。
「まぁそのなんだ…。本とかコーヒー好きなら、そういう場所知ってるから…。今は訳あって無くなっちゃったんだけどたぶんまた出来るから、その時はその…。だから…!!また…!!」
涙と早口が止まらない。今の僕の顔面、とんでもねえことになってるだろうな。みなもの顔も見れないよ。今どういうシチュエーションだよ。
恐る恐る目を開いて、みなもの顔を見る。
相変わらず、小さい女の子みたいにきょとんとしてて。
だけど。
「言われなくても、また来るって。」
死ぬほど聞いたけど、死ぬほど聞きたかった言葉。
そして…一瞬見えたその笑顔は、確かに。
僕の初恋で。
「あの夏」の君で。
僕の。
僕だけが知ってる。
喫茶店のマドンナだった。
「あれ、今私…。」
「これは…。」
僕は涙を拭って。
「大事件だな。」
秋の始まりを告げる風が、僕らを包んだ。
~ fin. ~
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原作
小説『喫茶店のマドンナ』著:吉野おいなり君