時の流れが作るものを「劣化」で片づける人たち
今年の梅雨はあっという間に終わってしまい、その後は連日の猛暑日。
雨の季節を楽しませるアジサイ。その美しい色合いが大好きなのですが、枯れて色がくすんできたあたりからもとても味わい深くて好きです。
もう少し縁が茶色っぽくなってきたら良い雰囲気になりそうと待っていたのですが、ある日ごっそり剪定されてしまい撮れませんでした。
なので最初に貼った画像は、少し枯れ始めたあたりのものになっています。
長く楽しむために保存加工してある花は確かに綺麗ですが、時間の流れや過酷な環境によって独特の風合いが出る事がないので、それがどこか退屈に思えてしまうのです。
アジサイが枯れるのを「しがみつく」と表現するのを最近ネットで見かけるのですが、今後そういう表現が浸透していくのでしょうか。
色がくすみ形が崩れてきても、最後まで自分を見てもらうように残っている、そんな姿に私はエナジーを感じます。
経年の変化を「劣化」として、若い方が良い、新しい方が良いという風潮の方が「しがみつく」感じが溢れているような気がします。
その人が過ごした年月によって生み出されたもの、世界でその人にしかないもの、それが素晴らしいのに。
人の見た目にとやかく言う考えこそ、今すぐにでも剪定されてほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?