思考は二次元?
最近思ったことなのですが(と言いつつ、実際は2016年にも同じことを考えていたようです・・・すっかり忘れていました)、良い悪い等の二元思考って、なぜ二元なのでしょう? 二元ということは軸が一つということで、二次元の平面ですら無いということになります。
もしかして、思考というのは(言語も含め)一次元しか扱えないのかな?
スピで言う次元が数学的な軸次元ではないことも前に書きましたが、それでも。
もちろん、良い悪いなどのほかにもグレーゾーンがありますので、平面的な二次元と考えても良いのですが、それでも三次元には及びません。軸が一個足りません。
思考は軸次元でも低い次元にある。
そう考えてみると、納得できることがたくさんあります。
表現ということを考えると、文書は二次元ですし、映画などの映像表現も二次元、絵画も二次元。三次元なのは彫刻くらいですか? 建築も表現に入りますかね。
こんなことを考えていると、だんだん思考的になってきた気がするので、ちょと氣付き意識に戻って。
そうか、立体でも、視覚情報では平面に落とし込まれてしまいますね。
それで小さな人間の私は、平面的な思考形態なのかも。
いわゆる天才と言われている方に何人もお会いしましたが、共通しているのが発想が自由ということです。囚われが少ないというか、既成概念の外にいるというか、認識の仕方が違うのかもしれません。
認識の仕方の違いというのは大きいでしょう。
で、そういう人に共通していたのが、自分にできないことを知っている、でした。小さな人間の私がするような「できるふり」などは一切せず、できないことはそれをできる人にやってもらう、という。しかもそれを奇想天外な方法で実現してしまう。
奇想天外というのは小さな人間の私がそう思うだけで、大きな私は「そうだよね」みたいな感じでいますが。
まさに共創(共同創造)。
たぶんそういう方々は、立体的な思考ができるのかもですね。
視覚情報によらない立体映像というかホログラムのようなものが一般的になれば、そういう方も増えてくるような氣がします。
認識の仕方を変えるには、まず視覚情報(≒思考)に頼らないことから始めてみましょう。
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2016年に行った空間認識実験もついでに読んでいただけると嬉しいです。
http://cool.versus.jp/cn4/awakening01.html
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思考から脱して、軽く明るくいきましょう(^^/
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