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まずは自分

私はいいからあなたが、というのはドラマ的にはアガルところですが、自己犠牲というのは多次元にはありません。

なぜかというと、自己犠牲は、自分がやることをやっていないということになるからです。

三次元的に表現すると、「他者がやることを奪ってしまう」ということになると思います。

小さな自分の考える自分と他者というのは、大きな自分から見るとパーツのような感じです。小さな自分が右人差し指だとすると、他者は左中指のような。この例えも三次元的過ぎてちょっと違うのですが、ほかに良い例えが浮かばないので。

左中指の代わりをしようとしても右人差し指にはできません。無理にそれをしようとすると、指が攣ったりして余計な混乱を引き起こすどころか、他の指の邪魔をすることにもなりかねません。そんな感じです。

今書いていて思ったのですが、こういうスピリチュアルな目に見えないことを三次元的な置き換えをしてしまうと、それに引っ張られて余計な思考的混乱を生むことになりやすいのかもですね。

まずは自分をしっかりやる。自分が中途半端なのに、頼まれてもいない他の人にちょっかいを出さない。魂の仲間とのチームワーク(共創)のためにも、それが一番の早道です。

それと、誰それがどうしたとか、あの芸能人がどうしたとか、政治家がどうとか、そういう三次元的な他者の噂話は、自分軸が無くなりますし、カルマが増えるだけなのでやめておいた方が無難です。この時期に自分軸を失いカルマが増えるというのが得策ではないのは皆さんお氣付きのとおりです。

人の噂話に付き物の「私なら~」というのは「私が正しい(小さい自分=エゴ)」の変形版なので、余計なことはしない方が良いです。もし人から話を振られたら、知らないとか、あるいは「ふーん、そうなんだ」くらいでフラットに。

小さい自分の話を真面目に聞いていると持っていかれますから注意しましょう。

これも、まずは自分、です。



思考から脱して、軽く明るくいきましょう(^^/

http://cool.versus.jp/


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