知識が増えると安心する、知識がないと不安になる
こういう現象ありませんか。僕はありました。誰それは知っていて自分は知らない、もしくは、周りのみんなが知っていて自分は知らない、これ結構不安になってました。
知らないというだけで劣っているような気分になっていたのです。
人間の私は知識を得てそれを元に分析・思考し、推論し理解を深めようとします。
なぜそのようなことをするのでしょうか? それは、知らないという不安から逃れ、安心したいからです。知らないことは罪にも似てあってはならないことなのかもしれません。
でも、考えてみてください。それで安心は得られたでしょうか。幸せは得られたでしょうか。
知識が増えれば増えるほど賢くなったと思い、一安心してもそれはつかの間、新たな「わからない」が現れてきます。そしてまた情報を集め知識を増やし・・・の繰り返し。
これ、学生時代に刷り込まれた価値観なのかなって思います。
学生の頃はテストがあって、点数が出て、順位が決まります。点数が低く順位が低いと教師や親にがっかりされ、自分はダメな奴だと思い込むように自然と教育されてきませんでしたか。
誰かと比較して自分の位置を知る。
物心ついた時からそういう教育をされているので、それが正しいと思ってしまう。何か変だなと思っても、みんながそう信じているので何を言っても聞いてもらえないですし。
これ、管理(支配)する側からは便利なシステムですよね。何の疑問もなく大多数の人がそういうものだと固定概念化されるわけです。中には僕みたいな変なのがいるのですが、おかしいと思いつつ同調圧力に屈してしまう。
あと、こういうこともありました。
某宗教団体のお話会に行ったところ、「終わったら勧誘に行って」と言われたんです。その勉強会に申し込むときに、「勧誘は絶対行きません」と言っておいたにもかかわらず。
で、その時に信者の方が、「詳しい説明なんて最初はわからなくても、何度も何度も言っているうちに、だんだんと自分でもわかってくるから大丈夫」と・・・。いや、そういう問題ではなくて、勧誘ってマウントの取り合いだからしないって言ってるだけなんですけど。でも、それもわかってもらえず、仕方ないので、そのまま帰りましたけど。
結局、よくわかっていなくても、自分が何度も言うことによって刷り込まれて行くということでした。知識~信じこむ、のパターンです。
そういうことって結構この三次元にはありますよね。
思考から脱して、軽く明るくいきましょう(^^/
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