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ほんまの努力は選択の後から始まった

たなかともこさんのこちらの企画。

悩んで時間ぎりぎりになり、投稿やめようかと思いましたが、書くことにしました。

「すごい上手い人めっちゃ投稿してるやん」
「今さらここに並べるん?」
「かえって、ともこさんのご迷惑ちゃうのん?」
エゴの声がたくさん聞こえてきましたが、あえて書くことにしました。
私が人生最大のそしておそらく、最後の大きな選択をした後の話です。


「人生変わるで」と肚の声に言われた


初めて今の夫の顔写真を見たとき。正直、「あ、こういうひと無理かもしれん」と思った。髭にサングラス。自分の周りにいないタイプの男性だった。「たぶん無理」と紹介してくれた友人に連絡すると「すぐに答えだすんやない! まずはやりとりして、何度か会うてから決めたらいいから」と叱られた。

彼を紹介されたのはその前日。友人と鞍馬山に行った帰りのことだった。

「真澄ちゃん、再婚しないの?」
「つきあってるひともいないの?」
「そういえば、大阪出身で料理上手な男性が知り合いにいるのよ。
よかったらさ、FBでつながってみたら?」

鞍馬の山から下りてきて、出町柳で遅い昼食をとっていたら、突然立て続けに質問された。再婚の予定もなければ、つきあっているどころか好きな人もいなかった私は、「彼女がめちゃめちゃお勧めする男性ってどんな人やろ?」と好奇心だけで、その男性のFBプロフィールを見た。こちらを挑むように睨みつける(ように見えた)彼の顔写真を見たとき、

え、無理。

と思ったのだった。友人に叱られ、再度彼のプロフィールをよく読んだ。彼がひとりで会社をやっていることがわかった。会社のHPのリンクから、彼が携わった仕事が見れた。札幌の有名な公園にある大きな噴水と光のショー、海のような深いブルーに包まれる産婦人科のLDR(分娩出産室)。へー、こんなきれいなんつくるひとなんや。ちょっと心が動いた。

なんとなく毎日彼の投稿を見るようになり、顔をみるようになった。ある日ふと、「あ、このままやとやばいかもしれん」と思った。「会うたら、絶対好きになる」彼の年収も、性格も、声もしらないのに、なぜか自分の肚の奥からそんな声がした。数日して、私の肚はさらにえらいことを言い出した。

「このひとと会うたら好きになる」
「そんで、このひとと結婚したら自分の人生変わるで」


うそやん。なんでそんなん思うん? 全く根拠はなかったが、肚の声は「絶対そうなるで」と強く伝えてきた。

結局、その声の通りになった。FBで夫とつながった翌月に私は彼に会った。肚の声の通り私は彼を好きになり、その3か月後、結婚が決まった。翌年の春、彼と私は夫婦となり、横浜で夫と私と私の息子。三人の暮らしが始まった。

さらに人生が変わった選択の後

「このひとと結婚したら、自分の人生変わるで」

肚の声に言われた通り、結婚したら私の生活が変わった。
大阪から横浜へ。住む場所が変わっただけではない。
今まで自分が信じてきた価値観、母からずーっと言われてきたひとつの「正しさ」を手放すことになったのだ。

女もな、ちゃんと自分で食べていけるようになっとかなあかんねん。
おばあちゃんはな、経済的に自立できへんかったから苦労したんや。

私が中学生になったころからだろうか。母が何度も何度も、私に言い続けたことだった。

女も自立せなあかん。
自分で食べていけるようになっとかなあかん。

教育大学を出て、中学校の英語教員になった母は父と結婚しても、兄を出産しても、私を出産しても、ずっと仕事を続けた。母方の祖父母や母の叔母にかなり助けてもらいながら、母は「経済的自立」をまっとうした。佐渡に育った父は、結婚当初葛藤があったのか、それともすんなり受け入れたのかはわからないが、家事も子育ても母と一緒に担っていた。

夫婦で働いて、夫婦で子育てする。

それが私自身の夫婦のカタチにもなっていた。1度目の結婚は、私と同じ理想形をもつ相手と家庭をつくった。子育ても仕事も、夫婦で半分ずつ担う。だが、その「半分」は私と前の夫との間で少しずつズレていった。

両親を理想のカタチとした夫婦生活。4年半で私は終えることにした。

2度目の結婚は、その真逆だった。
結婚してから3年ほど、夫は引き続きひとりで仕事をしていた。
だが、少しずつ、それにも限界が見えてきた。
「私も派遣とかで働いた方がええんやろか」
結婚前にしていた大学事務の仕事を探すこともあった。
そのたびに、声が聞こえた。

「真澄ちゃん、働いたらあかんで」
「真澄ちゃん、だんなさんを助けようって、あんたが頑張ったらあかんで」

それは肚の声ではなく、友人たちの声だった。
結婚前から私を知る友人のうち2人。
心のことを仕事にしているセラピストとヒーラーである二人。
その業界では有名な2人だった。

講座で、月一の電話セッションで、プライベートな集まりで。
私と夫のことを話すと、二人はよくそう言った。

「真澄ちゃん、働いたらあかんで」

いやいや。夫が頑張ってるのに、私がのんびり毎日過ごすってどういうこと?しかも3年働いてへんねんで。経済的にも依存しまくりやで。そんなんあかんやろ。

昔の自分に引き戻すかのように、頭の声が騒ぎ出す。そのたびに、彼女たちの声を聞いた。動く方がよっぽど楽だった。でも、私は動かなかった。だが、ふとひらめいたことは夫に伝えた。「●●さんに相談してみたら?」「あそこに行ってみたら?」夫は素直に聞いてくれた。結婚から4年。夫は長い長い間ひとりで頑張って続けてきた会社を閉じた。30年ほど仕事でお世話になってきた恩人の会社で働くことになった。「えー! 転職してその待遇はすごいで!」私に声を届けてくれていた友人が驚いていた。「真澄ちゃんの言うこときいて、ほんまによかったわ。ありがとう」あれから何年も経っているが、夫は今でも時々そう言ってくれる。

結婚して6年経った。私は人生初、「3号の妻」というのになった。経済的自立もしないまんま、毎日いろいろありながらも、しあわせに暮らしている。

それは、母から引き継いだ価値観を、自分が正しいと思っていたことを捨て、逆に振り切った結果が今だと思っている。

選択の後、それを是とするためにしてきた努力。


ともこさんが言う「努力」。私の場合それは、両親と全く違う夫婦のカタチをつくることだったのかもしれない。

私と夫の努力は、きっと二人がおじいちゃんおばあちゃんになっても、まだまだつづくのだろうな。

*****

この上記まで書いたら、締め切り時間を過ぎました。投稿自体やめようかとも思いましたが、表に出すことで私と夫の過去が成仏できるような気がして、投稿することにしました。

(記事上部の投稿時間がこの期間内ならエントリーとして受け付けます)


と、ともこさんが書いてくれていたけれど、今の時間のまんま投稿します。ともこさんのマガジンに入らなくても、インタビュー対象外になっても、書いて出すことでとても軽くなれました。

いつかまた。続編を書きたいと思います。

ともこさん、いい機会をありがとうございました。
書いてよかったです。



美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。