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寿司とかしわ、水餃子にフレンチ。旨い店がある高槻

生まれ育った街でも、両親と帰る家がなくなると、街と自分を繋いでいた線が切れたようになってまいます。私にとって『高槻』はそんな街。ところで、高槻ってどこやねん? そない思わはりますわな。

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見た通り、京都と大阪の間。なので、実家がなくなってから、わざわざ行くこともほとんどなくなりました。せやけど、先日、呑み書き祭りで、笹さんのこちらのnote読ませてもらいました。

笹さんが紹介されてるお店読んで、

ドエルー!懐かしい!昔あそこの店内で、ケーキセット食べれてん。高校時代、たまに友達と寄り道したよなぁ

と画面越しに笹さんに話しかけてました。他にもお店を紹介されていましたが、笹さんの(ほぼ)お母ちゃん世代の私は、このドエルしかわかりませんでした。笹さんとそんなやりとりをTwitterでやってて、

ますみさんの好きな高槻のお店も読みたい!

みたいなん言うてもらい、ええ気になってご紹介することにしました。なお、40年以上前の記憶の味もあるので、そのへんは半眼で読んどいてください。

●若狭屋のお寿司

「お寿司とろか」と祖母や母が言うとき、毎回私はガッツポーズでした。お寿司とろか、は、若狭屋のお寿司の配達を頼む、ことを意味したからです。

最後に「若狭屋さんでお寿司頼もか」と母が言い、実家で食べたのは、兄が『結婚しよ思うてるひと』をお連れした日でした。祖母が亡くなり、その2年後に母が亡くなり、うちの実家で若狭屋のお寿司を食べることもなくなりました。父がお寿司食べよか、と言う時は、近所の回転寿司へ行くか、関西スーパーのパック寿司でした。

母と結婚して高槻に住むことになった父は、私や母、祖母ほど、若狭屋のお寿司に思い入れはなかったのかもしれません。

一昨年の夏、父が亡くなり、実家の片付けのため2ヶ月ほど高槻で過ごしました。ふと思い出し、駅前まで買い物に出たとき、何度か若狭屋さんへ行きました。

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曜日限定のにぎり定食(1,000円しなかったと思う)。赤だしと小さなデーザート付きでした。この量がちょうどよかったです。

お寿司だけの味で評価したら、夫がお気に入りの新横浜にある高いお寿司屋さんの方が美味しいと思います。そやけど、若狭屋さんのお寿司は、子どもの頃から食べ慣れた美味しさでした。次は鯖寿司お土産に買うて帰りたいな。

●かしわ つるや

かしわって標準語ちゃうん⁈

オーストラリア留学中、東京生まれ東京育ちの友人に「かしわって何?」と言われて驚きました。え、かしわは、かしわやん。鶏肉やん。と答えたら、

ますみちゃん、それはおそらく関西か西日本のみで使われている言葉だ。

と言われ驚きました。「標準語って思ってたますみちゃんに、俺は驚いたよ」と友人も驚いていました。そんな思い出がある、かしわ。

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若狭屋さんと同じく、一昨年の夏、つるやさんへも週に2回は通うてました。買うたお肉を竹の皮で包んでくれたけど、今もそうかな。鶏肉のもも、胸、手羽先、手羽元、キモなどなど販売されていました。ローストチキンと唐揚げもあります。幼い頃の私は、祖母と一緒にこのお店によく行きました。ローストチキンや唐揚げ食べてみたかったけど、祖母は買うてくれませんでした。いつも買うのは、もも肉でした。結局私も、唐揚げやローストチキン買わず、もも肉一択。

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フライパンで焼いて、塩胡椒するだけで美味しいです。

朝早くお店の前を通ると、こっこ、こっこと鳴くにわとりさんたちに会います。かなりの繊細さんだった母はそれが苦手で、自分ではこちらのお店で買うことはありませんでした。「スーパーで買う鶏肉も一緒やん! 鶏肉になる前は、こっこ、こっこって鳴くやん!」と言うて、私はつるやさんのかしわ食べたいとリクスト出したのですが、全て母に却下されました。祖母と私は、美味しいものへの欲が母より優っていたのかもしれません。

●はるぴん

今から30年以上前、当時働いていた職場の上司に教えてもらったお店です。

中国からの引揚者2世のお父さんと娘さんがされてるお店でね。娘さんが通う学校の先生たちが、応援しよう!ていうて通い始められたんだけど、ものすごく美味しいらしいの。●●さん(私の旧姓)高槻だったよね? 一回行ってみて。

美味しいものをよく知る上司に激推しされたので、行ったのが最初です。生まれて初めて『水餃子』を食べました。「20分ほどお時間いただきますね」と可愛らしいお姉さんが言うと、無口なお父さんが餃子の皮を取り出し、綿棒で綺麗な丸に伸ばし始めました。餡を包んで、茹でて完成。ツルツル、もちもち。食べたことのない食感。美味しい! 翌日上司に「めちゃめちゃ美味しかったですよ」と前のめりに感想を伝えました。

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一昨年は一人で、去年は地元で働く友人と、はるぴんへ行きました。かわいかったお姉さんは、すっかりたくましくなり、隣にはお父さんでなく、夫さんらしき人がおられました。あの頃と同じく、水餃子を頼むと、皮を伸ばすところから作ってくれました。うんうん、これや! 懐かしく美味しかったです。

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こちらのお店独特の春巻きも変わらず美味しかったです。

はるぴんさんは、このコロナ禍でも負けずに、頑張っておられるようです。次行く時まで、どうかどうか、踏ん張っててね。



●ROUTE271

パンのレベルがとにかく高いパン屋さんです。お惣菜ぱんも美味しかったけど、ハード系パンがとんでもなく美味しかったです。もし、私があの実家で息子と、または一人で暮らし続けていたら、週3回は通ってます。実際、このパン屋さんを知ってから、一昨年の夏は週3で通いました。どうやら私は、美味しいと週2、3で通うみたいですね(笑)。暑い暑い夏の高槻。最高気温40度の日も、ここのパン食べたさに自転車を走らせてました。

梅田本店は行ったことありませんが、高槻店は大きな道路脇にポツンと立つ小さなお店です。店内もかなりコンパクトなので、コロナ禍前から、入店は1度に2組くらいやったと思います。それでも、インスタの通り、店内にはとにかくたくさんパンが並んでました。いろいろ買いたかったけど、朝ごはん用の食パンかバケット、あと、お惣菜系か甘いパンを二個ほど買うてました。ハード系パンが大好きだった母が生きていたら、ここのパン好きやったやろうなあ。そんなことを思いながら、実家でモノに囲まれて、美味しくいただきました。

●レ・コパン

真澄ちゃんがオーストラリア行ってる間にな、お義父さんになんべんか連れてってもろたんよ。お義父さんがフレンチって珍しいなと思ったら、シェフが佐渡出身の人やってんて。「お母さんも、おばあちゃんも、フレンチ好きやったなあ」言うてはったわ。

父の四十九日法要と納骨が終わった後、お店予約してるから、一緒にお昼ごはん食べようとお兄夫婦が連れて行ってくれました。「私、ここ来たことないねん」というと義理姉は「そうなん?」と驚いて、話してくれたのでした。

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お皿がアート! 大人3人(兄夫婦と私)はテンション上がりましたが、

アートより白ごはん

な息子(当時高2)は、テンション下がってました。

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お肉が出てきて、ようやくテンション上がった息子でした。お肉のプレートもアート。とにかく、お料理が綺麗やったなあ。もちろん、お味も美味しかったです。

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デザートプレートも、かわいかった。

兄夫婦とうちら親子で、父のことや自分たち家族のこと、息子の進路や甥っ子姪っ子たちの近況、色々話せて楽しかった思い出があります。母や祖母が知らない、父が教えてくれた高槻の美味しいお店でした。

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高槻も私が知っている街とは大きく変わり、新しい美味しいお店もたくさんできたようです。それでも、高槻に行くとついつい、今回紹介したお店に行ってしまうんです。コロナがちょっと落ち着いたら、京都にお墓参り行き、高槻まで足を伸ばしたいです。えらい買いもんしてまいそうやけど。。

笹さん、楽しいきっかけを、ありがとうございました。いつか高槻で美味しいもん食べようね。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。