54歳主婦、sexyと女性性を極めてランウェイを歩く
「私、ランウェイ歩いてきたんだ」
年上の女友達が、会話の隙間に突然ぶち込んだひとこと。一瞬、私の脳内がフリーズした。
当時親しくしていた彼女は年齢も住む場所も違ったが、不思議と気が合い、時々会っていた。その日も数ヶ月ぶりに都内のカフェで会い、互いの近況を話した後、突然話し始めた。
「え、モデルでも芸能人でもないのに、ランウェイって歩けるの?」
彼女が携帯電話を出して、写真を見せてくれた。ミニスカートに濃い目のメイク。写真の彼女も、目の前で私に報告する彼女も、かわいくて、そして、楽しそうだった。それを見ている私まで、しあわせな気持ちになった。
そっか。モデルでも、有名人でなくても、ランウェイ歩けるイベントがあるんや。私にもできるかもしれんってことか。
いつか、やってみたいな。
私の中で小さな望みが生まれた。
その『いつか』はこなかったし、やってみたいと思ったことすら忘れていた。大阪で息子と二人暮らしだった私は、2度目の結婚をして横浜で三人暮らしとなった。日常に、ふつうの暮らしに、あのときの望みは埋もれていった。
「私もやってみたい」
あの時から15年経った。
『東京ビックサイトで、5月にクローズドイベントを開催します。当日ファッションショーもやります。ついては出演者をコミュニティのなかで募集します』
今年3月に入ったインスタグラムのコミュニティで、そんな投稿が流れてきた。
やってみたい。
15年寝かせていた思いが起きてきた。
応募書類を出したら、まさかの当選。驚きと喜びが同時にきた。
この時はまだ、人生で初めて考えること、向き合うこと、体験することが次々出てくるとは、知らなかった。
●マゼンダピンクとsexy
ファッションショー当選者は20人1組で9組までのチームに分かれていた。私が入ったのは2組。組ごとに決められたテーマと色があった。
テーマカラーがマゼンダピンク?
え、人生で初めて聞いたよ、そんな色。
「2組のテーマはsexyと女性性の開花。
女性としてのエネルギーが柔らかくなり、新しく開花していくよ」
自分の名前が呼ばれて浮かれて、すっかり忘れていたけれど、改めて当選者発表の配信を聞いてみたら、そんな説明をされていた。
sexyって、なんなんだ?
女性54年やってきたけど、女性としてのエネルギーてなに?
マゼンダピンクよりわからん。
私、sexyや女性性の開花、本番までにわかるんやろか?
sexy、マゼンダピンク、スリット、露出。
スタイリストさんから出されたキーワードに『ドレス』をつけて、スマホでドレスを探す日々から始まった。
*
*
マゼンダピンクにパンティラインが見えそうなスリット、背中は全部見えて、スパンコールがキラキラするロングドレス。「それいい!」とスタイリストさんからのOKをもらい、当日着るドレスが決まった。届いたドレスを着て鏡の前に立ってみたら、ランウェイ歩くモデルというより、銀座の老舗バーに立つベテランシャンソン歌手だ。これ、sexyなんやろか? 疑問と不安を残しながら、まずはドレスが決まったことにホッとした。
● sexyを超えたらいいんじゃない? 例えば『卑猥』
本番まで9日。6月半ばの金曜日。早朝ののぞみに乗り、リハーサルが行われる中部地方の体育館へ向かった。1人の欠席者を除き、初めて2組メンバーが全員揃った。マゼンダピンクのドレスを着た集団は、なかなかsexyだ。ドレスだけでなく、靴、アクセサリーにウィッグ、本番の衣装を全て身につけた。
リハーサルとはいえ、人前で歩くのは初めてだ。自分と仲間の緊張を感じながら、体育館の床にテープを貼り作られた、ランウェイを歩いた。
「ただドレス着て歩くだけじゃ、sexyも女性性も表現できないよね」
体育館のランウェイを2組全員で歩いた後、主催者からこう言われ、え? ランウェイ歩くだけじゃないの? と驚き戸惑った。
「歩いてポーズとる、だけじゃなくて、それぞれのテーマを表現するファッションショーだからね」
改めてそう言われた。
2組の仲間で、そして個人で、ウォーキングレッスン受けたり練習もしてきたのだが、うっすら思っていたのだ。
「歩いてポーズとるだけ。これでほんとにsexyや女性性表現できるのかな」って。
どうやって、ランウェイで、sexyや女性性表現したらええんやろか?
出番が終わった後、さっき歩いたランウェイから離れた場所に集まった。誰もアイデアや答えなんて見つからない。沈黙の時間が過ぎていった。
「みんな迷ってるよね」
ひとりの女性が、すっと私たちのそばに来て話し始めた。
自分でプロデュースしてダンスのステージを作り、大きな舞台にも立っているひとだった。主催者ご夫婦の友人である彼女は、この日体育館に来ていた。そして、私たちのウォーキングを見てくれていたのだった。
「ただ歩くだけじゃ、見てる方もつまんないよね。
なにより、ほんとに、きれいに歩くだけって、自分たちでやってて楽しい?」
そうだ。一生懸命歩く練習してきたけれど、正直楽しくは、なかった。
「世界のトップモデルがランウェイ歩く、ハイブランドのファッションショー見たことあるんだけどね、私は、心震えなかったんだよ」
「それと同じことをさ、素人の私たちがやっても、観てるひとたちの心は動かないよね。だから、まずは、自分たちの心が震えて動くことしないとね」
彼女の説明はめちゃめちゃわかりやすくて、そして、腑に落ちた。でも、どうしたらいいんだろうなと思った時、こう言われた。
「sexyを超えたらいいんじゃない?
例えば『卑猥』とかさ」
その場で彼女が床に膝をつき、大胆に足を広げ、まさに『卑猥』なポーズをカッコよくやってみせてくれた。
『卑猥』って言葉と、彼女が身体で見せてくれた『卑猥』にドキドキした。私は「それ、やりたい!」「そっちがいい!」と心の中で叫んだ。
「えー! そこまでやっちゃっていいんだ!」私とペアで歩く彼女が、その日一番の笑顔を見せてくれた。彼女だけでなく、ワントーン明るくなった表情と声のみんなから、アイデアが溢れてきた。
「え、ほんとにそれやるの⁈」って不安そうな顔もあったが、「とにかくやってみよう」という流れになった。今まで練習してきたウォーキング、綺麗な歩き方やポーズを全部忘れて、新たに歩き方やポーズを考えて、動き始めた。
目指すのは、ファッションショーで歩く『モデル』ではなく、自分の世界に入りきった『表現者』だ。sexyと女性性を体現するのだ。
リハーサルが終わり、名古屋駅から東京行きのぞみに乗った。隣りには、ペアでランウェイを歩くことになった相方がいた。二人で並んでランウェイ歩き、ポーズ取るまでどうするかと相談していたとき、ふっと思い出したことがあった。話そうとして、一瞬ためらった。
いやいや、流石にそれは引くんちゃう?
という声がチラッとよぎった。だが、『卑猥』に目を輝かせた彼女だから大丈夫、と、思い直して私は話し始めた。
「あのさ、私、7年前ストリップ観に行ったこと思い出したんやけど」
● ストリップ劇場で踊り子さんが見せてくれたこと
7年前、ひとりの友人が『ストリップ観劇ツアー』を始めた。友人が推す踊り子さんが引退を発表、彼女の素晴らしい舞台を、最後に、ひとりでも多く観てほしいと呼びかけていた。
舞台を観た友人たちは感動して大絶賛していた。皆がその踊り子さんに魅了され、ひとりで2度観に行った友人もいた。気になった私も参加し、その踊り子さんのステージを観て、すぐファンになった。
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「ほんますごいねん、とにかくすごかってん」
あの時の心の震えと体感を相方に熱く熱く話した。
話しながら、もう一つ大事なことを思い出した。
初めて観たストリップで、私の脳内に現れた言葉。学生時代教科書で見た言葉。
『元始、女性は実に太陽であった』
教科書で見た平塚らいてうの言葉。まさかストリップ劇場で思い出すとは、想像もしなかった。
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「ほんとにほんとに、あの時の踊り子さん観てたら、その言葉が降りてきたんよ。あの時の踊り子さんは、ほんまに太陽やってん」
私の熱に押され、相方は「週末浅草に観に行こっかな」と言った。「私も久しぶりに行こうかなあ」熱く勧めておきながら、私自身はまだぼんやり思うだけだった。
翌日、2組のグループラインにこんなメッセージが来た。
『浅草ロック座、誰か観に行かない?』
前夜のぞみ車中での私たちコンビの話を聞いてた? ってくらいタイムリーで驚いた。日程も時間も、そこなら行けるってタイミングだった。「行く」とすぐに返信した。
「実は、前から行ってみたかったんだ」「大丈夫かな? でも行ってみたい」
他にも手が上がり、8名で浅草ロック座へ行くことになった。
7年ぶりのストリップ観劇。前回は違う劇場で観たので、浅草ロック座は初めてだった。
私以外は、全員初めてのストリップ鑑賞。当日、約束の時間に劇場入り口で待っていたら、期待とちょっと不安が混じった顔のみんながやって来た。
「大丈夫かな、怖くない?」
大丈夫。映画館と変わらんで。チケット買って、席に着いたら始まるから。
「なんかさ、おじさんたちがヤジとか飛ばすんじゃないの?」
今はステージの進行邪魔するような行為あったら、すぐ劇場スタッフさん来はるねん。お客さんたち、男性も女性もみんなマナーいいよ。
7年前の体験が、みんなの怖さを解くのにちょっと役立った。
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「思ってたのと違うー!」
「すごいよ、感動!」
休憩タイムのみんなの感想にホッとした。初めて観た時のように、感動しきれない自分がちょっと残念だったが、その残念感は休憩後にきれいに消された。
再びショーが始まり、舞台に上がってきたひとりの踊り子さん。それまでの踊り子さんより、ベテラン感が漂っていた。彼女の踊り、全てを脱ぎ捨て、その場を圧倒し堂々と立つ姿、そして、彼女のしあわせに溢れた笑顔に、鳥肌が立った。涙が流れて、フィナーレが終わっても、劇場出ても止まらなかった。
「sexyってね、喜び、悦び、エクスタシーを見せることなんだよ」
数日前に友人から届いたメッセージ。そこに書かれた言葉を、目の前の踊り子さんが全身で表現していたからだった。
●sexyってこれを見せることなんだよ
若い頃、SMクラブのステージに立っていた友人がいる。ステージに立ち、身体で表現をしていた経験がある彼女なら、sexyってこれだよと、なにかヒントをくれるかもしれない。そう思って、久しぶりに彼女にDMを送った。
ランウェイに出ること、テーマがsexyや女性性開花、sexyを超えて『卑猥』目指したらとアドバイスもらったことなど伝えて、
sexyってなんだと思う?
どう表現したらいいのかな。
と尋ねた。
翌朝、彼女から返事が届いた。
近況報告のあと、彼女はこう書いていた。
「『sexyは喜び、悦び、エクスタシー、これを見せることなんだよ。
それをさ、仲間のみんなに、ますみちゃんの言葉で伝えてあげられたらいいと思うよ」
喜び、悦び、エクスタシー。
意味を調べてみた。
これだけだと伝えるには不十分やな。
みんなに伝えたいと思ったが、言葉の意味だけでなく、もっと自分のなかで腑に落としてからから伝えよう。そう思って、浅草ロック座へ行ったのだった。
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「そうなんだよ、sexyってさ、喜びで悦びなんだよー!」
踊り子さんのおかげで、頭ではなく、全身で友人の言葉を理解した私は、ロック座の入り口で、泣きながら仲間に伝えた。踊り子さんの姿に、はっきりとエクスタシーも感じたのだが、泣きながらも「ここまで言うと混乱するな。今は言わんとこう」とその言葉は使わなかった。
もうひとつ、この日、劇場で感じていたこと。それは『リスペクト』だった。
男性客は、みな本当に踊り子さんをリスペクトしていた。彼らの目からはリスペクト以外感じられなかった。女性の裸を見ているのに、彼らからいやらしさを感じないのだ。
踊り子さんが自信とプライドに溢れ、喜びと悦び、エクスタシーに溢れ、それを肉体で表現していたからだ。その姿に男性女性関係なく、全ての観客は圧倒されていたのだ。根拠はないけど、とにかくそう思った。
ストリップ劇場で、踊り子さんたちのなかに私が見つけたのは、自信とプライド、sexy、圧倒感、そして、私たちは太陽だってことだった。
浅草ロック座でsexyとはなにかを見つけた私は、これでもう完璧だ!とは、まだ思えなかった。最後の課題、女性性の開花がまだわかっていなかった。
●夫のひとことから、私の女性性が開花した
『女性性ってパートナーシップ』
ストリップを観た翌朝、そんな言葉が浮かんだ。sexyに集中していたが、私たちのもうひとつのテーマは『女性性の開花』だ。私の中ではっきりと「これだ!」というものを掴めていなかった。
女性性やパートナーシップの話、インスタグループで配信されてたよなあ。2組のひとりが、その配信からキーワードを拾ってまとめたものを、LINEグループにあげてくれていた。びっしりと書かれたキーワードのなかで、私が気になったものがあった。
パートナーシップ、つまり、過去の恋愛や前回の結婚、そこでの相手との関係の中で、女性性の不足や過剰、過不足ない状態ををやってきたはずだ。
30年以上前の恋愛から前回の結婚。そのなかで、これら女性性のカケラを探してみよう。朝から胃が痛くなってきた。
朝食の時、「今朝しんどそうやったな」と夫に言われ、その理由を話した。夫からは思いもしなかったことを言われた。
「そんなん、30年前の恋愛から探さんでも、僕と付き合ってた頃から結婚した今までの10年間で全部やってきて、僕に見せてるがな」
え? ちょっと待って⁈ あなたに全部見せてきたって?
「結婚前、横浜大阪と遠距離恋愛やったやん。ぼく、引き止められて、のぞみ最終ギリギリに飛び乗ったこと、なんべんもあったやん」
そうだった。あの頃の自分は、完全に女性性が過剰だった。あんなに夫に依存的になるとは、自分でも思わなかった。
「結婚直後、僕はなかなか、心の奥底の本音が伝えられんかった。つまらんことで短気になって喧嘩して、お互い完全に心閉じてしもたこと、あったやろ」
本音が伝えられなかったのは、私も同じだった。カッとして、ムッとして、喧嘩になって。毎回謝るのは夫だった。
そして、心から、この人と繋がりたいと、結婚する前もその後も思っていた。10年たって、いろんなことを乗り越えて、私たちはそれぞれ自分を大事にしながら、一緒に生きられるようになった。
あったやん、私の女性性。
妻になっても、母を続けてても、50代になっても、私、女性性持ってたやん。
でも。夫との10年のパートナーシップから見つけた私の女性性を、東京ビッグサイトのランウェイで、1,000人以上の前で表現するの⁈
いやいやいや、無理無理。
話すのも恥ずかしいのに、そんなんステージで露出多いドレス着て表現するやなんて、吐きそうや。
吐きそうなくらいこわいことを見つけてしまって、とにかく落ち着きたくて、その日、貸しスタジオでウォーキングとポーズの練習をした相方に話した。
「それもう、ますみちゃんがやるやつじゃん。後でLINEグループにもシェアするといいよ」
やっぱりそうですよね。
自分でこれだけ見つけたんやから、ステージでやらなあかんやつやんね。
まだまだこわかったけど、2組のLINEグループにこの日の朝のことを書いて送った。
続けて、友人がくれたメッセージに私が言葉を加えてグループラインに書き込んだ。
sexyってね喜び(うれしいという気持ち)、悦び(自分が嬉しいときや他人を喜ばせたときの気持ち)、エクスタシー(快感が最高潮に達して無我夢中の状態)を見せることなんだって言われたんだ。
その後、みんなが自分の内側を観て、深いシェアがLINEグループで始まった。実は『卑猥』って言葉に、抵抗が出て閉じてしまったという告白。パートナーシップを含めた自分の経験。母やさらにその母から続いてきた『sexy』や女性性についての思い込み。それぞれが、自分の内側を、自分が表現できることを表現した。
誰かのシェアがみんなの気づきにつながり、それはそのまま、私たちのつながり、結びつきになった。
私たちのsexyや女性性開花は、この時から始まった。歩き方、手の動きや、身体の使い方、ポーズの取り方を練習してきたことも大事だったが、自分の中にあるsexyと女性性開花を観るという、いちばん大事なことを始めたのだ。女性性とsexyを、私はやっと自分の中に見つけた。本番まであと4日だった。
●本番前夜、私は真っ赤なマニキュアを塗った
「ペディキュアの色、きれいやね。私も同じ色に揃えて塗ろっかな」
その夜、ダンススタジオを借りて相方とふたりで練習していた時、そう言って彼女にマニキュアの色とブランドを教えてもらった。
本番2日前、私は10年ぶりにマニキュアを買った。
それは、初めて買う真っ赤なマニキュアだった。赤は好きな色で、洋服や靴、バッグは赤色を買うこと多かったのに、なぜかマニキュアだけは赤を買ったことがなかった。
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夫と息子が寝た後、ひとりリビングで、私は手と足の爪にマニキュアを塗った。初めて買った真っ赤なマニキュア。翌日はビッグサイトでのリハーサル。翌々日はついに本番。早く寝ないとと思いながらも、自分の手先足先が大好きな赤色に染まるとドキドキした。
その時突然、声が聞こえた気がした。
「母親なのに、手や足の爪にそんな赤い色塗ってって叱ったのよ」
声の主は父方の伯母だった。私は16歳に戻り、ある夏の出来事を思い出した。
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その年の夏休み。父と私は佐渡ヶ島にある父の実家で5日ほど過ごした。父の兄弟姉妹が集まり、久しぶりに賑やかな日を過ごした。父と私に数日遅れて、ひとりの従姉妹がかわいい3人の女の子を連れてやってきた。
10年以上ぶりに会う従姉妹と彼女の娘たちだった。昔から美人で明るくてやさしかった従姉妹の『おねえちゃん』は、お母さんになっても変わらなかった。彼女の娘たちともすぐ仲良くなり、年の離れた四姉妹のように楽しく過ごしていた。
小さい娘たちがお昼寝していた午後、おねえちゃんが足に赤いマニキュア塗っている姿を見た。「あ、見つかってしもうた」とおねえちゃんはイタズラっぽく笑った。お母さんの顔じゃなかったことにちょっとドキドキしたけど、女同士、内緒でこっそり悪いことしているようで、ワクワクした。
夏休みが終わり、秋になる頃。佐渡で会った伯母が「聞いてほしいことがある」と言って、突然父を訪ねて来た。
伯母の話によると、おねえちゃんは佐渡から東京の自宅に戻ったあと、娘たちと夫を残して何も言わずに家を出て、数日後に帰ってきたらしい。理由は言わなかったそうだ。
「娘三人連れて佐渡に来てた時、真っ赤なマニキュア足に塗っててさ。『あんた母親なのに、そんな赤い色塗ってなにしてんの!』って叱ったのよ」優しい伯母の、あんなに恐い声を聞いたのは初めてだった。
おねえちゃんみたいに大人になっても、真っ赤なマニキュア塗るのは、ものすごく悪いことなんだ。お母さんが真っ赤な爪してるって、こんなに怒られるくらい、やっちゃいけないことなんだ。
16歳のとき自分に植えつけた思い込みが、私に赤いマニキュアを塗ることを禁じていたのだった。
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妻や母になっても、赤や自分の好きな色のマニキュアを塗っていいんだよ。
妻や母になっても、女の顔を持っていていいんだよ。sexyな自分、女性性を開花させた自分が、幾つになっても、自分のなかにいていいんだよ。
私は赤いマニキュアを塗りながら、あのときのおねえちゃんと自分にそう伝えた。1ヶ月前の自分なら、思いつきもしなかった言葉を、力強く伝えた。
「きれいな色やなぁ。似合うてるで」
早よねえやと声をかけにきた夫が、私の赤い爪を見てそう言った。
おねえちゃんも、きっとそう言ってもらいたかったんやろなあ。
足の爪が乾くのを待ちながら、そんなことを思った。
●私たちは最高にsexyだった
イベント本番の日、出番を待つステージ裏側の階段で、今までのことを思い出した。
初めてランウェイを歩くこと望んだ日。
ファッションショー出演者に当選してから、初めての体験だらけの毎日。味わったことのない感情、初めて向き合った自分の内面。忘れていた記憶。2組の仲間と泣いたり笑ったりしてきた先にある、本番のステージ。
大丈夫。sexyも女性性の開花も、全部私は持っている。表現できる。
音楽が鳴り、トップバッターのリーダーがステージに上がった。私は階段を上がった。私たちのファッションショーが始まった。
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その日の夜、自宅の寝室でベッドに横たわっていたら、本番の動画がLINEグループに送られてきた。ペアで歩いたウォーキングの場面、最後全員でステージに集まり、水着になった仲間が登場するシーン。5分半の動画を何度も観た。
舞台裏の階段を上がり舞台に出た後から、二人でランウェイ歩いてポーズとってもどるまで、全然覚えてへんなあ。意識飛んでたんかな。え、こんな表情でこんな動きしてたのか。不思議な気持ちだった。
15年前の望み『ランウェイを歩く』を私は叶えた。仲間と、たくさんのひとのおかげで叶えられた。でも、望みを叶えただけではなかった。
50年以上生きてきて、こんなに自分のなかのsexyを探して、自分の女性性と向き合ったのは初めてだった。
たくさんの『はじめて』を体験して、自分の体験から見つけた言葉で、誰かの言葉ではなく、どこかに書かれていた言葉ではなく、自分の言葉で、sexyを、女性性を、書き換えた。
そして、そのことが、何十年も持ち続けていた思い込みを解放した。
ドレスやピンヒール、sexyを超えた卑猥なポーズ。それはあくまで外側、見た目のsexyや女性性で、私は、私たちは、自分と向き合って見つけたsexyと女性性をステージで表現、いや、開花させたのだ。
みんなで最後ステージに集まって、クラッカー鳴らしたこの場面。いい顔だよな。
マゼンダピンクがわからん、sexyも女性性もわからんってところから始まり。卑猥という言葉に抵抗したり、初めてストリップ観て価値観変わったり。私たちは、一緒にたくさんのチャレンジを重ね、高校時代の部活動のような、濃くて熱い35日間を過ごした。
「(海外ランジェリーブランドの)ファッションショーそのまんまだったよ」
ドレス選びの時からずっと私たちにアドバイスをくれて、見守ってくれたスタイリストさんが、LINEグループに書き込んでくれていた。嬉しくて、ありがとうでいっぱいになった。
でも私は、私たちのフィナーレが、浅草ロック座で観た、踊り子さんたちが勢揃いした、あの華やかなフィナーレに見えた。
みんなの笑顔は喜びと悦びに満ちて、最高潮に達していた。私たちは、最高にsexyだった。
美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。