今年も『鎮魂』のために
早朝、突然ものすごい恐怖感に襲われた。おっきな恐怖感に覆い被されたようになり、「こわい、こわい」って口に出していたら、突然身体がボンっと跳ねた。
そのとき、思い出した。
今日、1月17日だ。
このときまで、私はこの日が1月17日だと忘れていた。
私は忘れていたけれど、私の身体と、
身体に刻まれた記憶は忘れていなかった。
その後とにかく身体が重たく、横になっていた。
やばいな。熱出るパターンかな。
そんなことをぼんやり考えていたら、意識がすーっと遠くなり
再び眠っていた。
夢のなかで、今はない実家にいた。外は大雪で、真っ白い雪が積もっている。その雪が溶けて洪水になりかけて、息子とふたりで避難の準備をしていた。
向かいのおばちゃんが
「あの向こうのお寺にみんなで避難してるから!」って外から大きな声で教えてくれた。
そのとき、目が覚めた。
熱いお風呂に入りたい。
とにかく風呂だ。
お風呂を沸かして入って、湯船に浸かる。やっと落ち着き、身体の感覚が戻ってきた。
身体の記憶とはすごいもので、29年前のあの朝の体感はまだ覚えている。大地の下を龍が走っていくような感覚。大地をどんと突き上げるあの感覚。この身体があるかぎり、私は毎年1.17にはこれを思い出すんだろう。そして、毎年そう言い続けているんだろう。
その日はたまたま、3人の友人にLINEやDMで連絡することあり、用件の後、「今朝、こんなことがあったんやけどさ」と伝えた。
「そうか。1.17だったか。私も動けなかったんだ。ますみちゃん、お疲れ様でした」
「ますみちゃん通って、なんか浄化されたんだね。お疲れ様でした」
布団の中で起きた出来事なのに、「お疲れ様でした」と言われ、なんやようわからんけどお役目果たせたんやったらええか、って思えた。
翌日、久しぶりに筆文字教室へいった。
お手本見ながら『いろはにほへと』を書いていた。
おっきな筆を持ってきていた先生(友人)が、
「書初めはね、この筆で、このおっきな紙にひとり1枚書いてみて」
と言って、季語がたくさん書かれた紙を渡してくれた。
春を感じる言葉、まだまだ冬の寒さや冷たさを感じる言葉が並んでいたけれど、そのどれでもない言葉に決めた。
鎮魂
「書き初めだよ? もっと明るい言葉あるでしょ?」
脳内では誰かがぶつぶつ言っていたが、教室に着く前から、地下鉄に乗っていた時から、『鎮魂』って文字が浮かんで張り付いていたのだ。
死者の魂を慰める『慰霊』の意味だけだと思っていた。
元々は、生きる者の魂を体に沈める儀式であったのか。
そうか。
今年の1月17日、私は、私に、『慰霊』をしていたんだ。
朝、恐怖感が身体を襲い身体が跳ねたとき。
雪が溶け水が溢れ、実家を出て避難しようとした夢。
そのとき、魂は身体を離れていたのかもしれない。
でも、私は目が覚めた。そして、熱めのお湯に身体を沈め、背骨に熱が通っていくのをゆっくり感じていた時、自分が今に帰ってきた気がした。
「ますみちゃん、お疲れ様でした」
送ってくれたDMに、「おかえり」って言葉を添えてくれた友がいた。
彼女たちも、熱めのお湯のように、私が帰ってくるのを手伝ってくれたのかもしれない。
ここまで書いて思い出した。
今年は1.17から29年。
母が亡くなって30年。
そして、私は母が亡くなった時の年齢になる。
鎮魂。
それは、亡くなった人たちへの言葉。
そして、生きる私たちへの言葉。
私はやっと、新しい1年を始められる。
これを書いているのは1月20日夜です。
参加している『対話のコミュニティ』で、みずのさんの『書くこと相談会』が開催され、参加した私はこのnoteのことを話しました。
あれから29年経ちました。大阪で体験した私は、大きな被害を受けたわけではなく、近しい人が直接や関連の被害を受けたわけでもありませんでした。さらに、3週間前、1月1日に北陸で大きな地震がありました。そんな自分が、今年、このタイミングで、1.17に関連したnoteを書いて出すことにためらいがありました。
「記憶の記録として自分の体験、体感を書いたものの、今年はこれをnoteに残すのは、公開するのはどうなんだろう?」
そんなことを考えながら、みずのさんと参加者さんのやりとりを聞いていたら、みずのさんが「以前、こんなこと言われたんだよ」って話してくださいました。
4年前公開したこのnoteとともに、私の経験がなくならないように、
29年前の私のために、書いて残します。