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地球さいごの日

「あのね、もし地球がなくなるとしたら…
さいごの日は何したい?」


ノストラダムスの予言を本気で恐れていた頃。
私と妹、どっちが言い出したんだろう?
その時の自分の答えを、急に思い出した。


「お布団の中でプリッツを食べながら、
ずーっと本を読んでたい。」


子どもの頃、寝る前に布団の中で本を読む時間がいちばん好きだった。
誰にも邪魔されない、ぜーんぶまるごと自分だけの時間。がんばって起きていれば、それだけ幸せな時間も増える。(朝起きるのが苦手で、いつも早く寝なさい!と叱られていたけど。)

もちろん布団の中でおやつを食べるなんて、絶対にさせてもらえなかったし(当たりまえ笑)、
お菓子も(一袋とか一箱とか)まるごと全部持たせてもらえることもなかった。憧れだった笑。

大好きだったプリッツと、「一日中」というたっぷりの時間と、布団の中という自分だけの場所で、大好きな本をずーっと読んでいられるなんて…
想像するだけでワクワクする、そんな感覚を思い出した。


あの頃は、自分の好きなモノやコトが分かっていた。妹に嬉しそうに話していたくらいだから、
自分の描く幸せの形が「恥ずかしいもの」「人に見せられないもの」というネガティブな意識はなかったのだろう。

「そんなことに喜びを感じてはダメ!」と、
自分の「好き」を強く否定するようになったのは、いつからだろう?

地球さいごの日に「一人で布団にもぐり込んで、好きなものを食べながら、好きな本に耽溺すること」を望むのは、不健康で暗い子、友だちと遊ぶことの優先順位が低いおかしな子、地球さいごの日に一緒に居てくれる友だちがいない子…ソンナコトガスキダカラ、トモダチデキナインジャナイノ?誰に否定されたのか?いつ否定されたのか?

わからない、覚えていない。
でも、いつの間にか私は、自分の好き嫌いを人に言えなくなった。言わなくなった。

一番楽しいことは、「友だちと遊ぶこと」とじゃないとダメなんだ、そう思えない私はダメなんだ…
私は私の「好き」を封印するようになった。

(あんたの好みは)ダメ!間違ってる!


変な子、暗い子、社会性のない子、友だちいない子、人として何か大きなものが欠落してる、劣った子…
ダメ出しする声が頭の中でずーっと聞こえていた。(なんなら今も。)
私は私の「好き」を見失い、自分を幸せにすることが出来なくなった。

そうか!そうだったんだ。
幼い頃の私は、どうすれば自分が幸せになれるか、ちゃんと知っていた。
それを、「恥ずべきこと」「隠すべきこと」なんて思いもせず、ワクワクしながら人に話したりしていたんだ。

どうして忘れてしまったんだろう?
どうして好きなものを「好き」ということを
自分に禁じて、自分の「好き」にダメ出しするようになってしまったんだろう?


思い出したら泣きたくなった。

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