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感情に寄り添うって、たいへん

夫婦の問題は、どうしたって家族の問題になってしまう。夫に言えないままだった思いを、さいきんちゃんと伝えたいと思うようになった。
夫への思いを息子たちに言うのは、彼らの荷物を増やすような気がして嫌なのだけど、夫に何かあった時、息子たちは私以上に利害関係者になってしまうので、彼らに一言も相談しないのも…と引っかかってはいた。

そんな折、既視感の強い条件下で、とんでもなく惨たらしい事件が起きた。私はこういう事態を恐れて、これまで動けずにいたのだ。ようやく出しかけた一歩が、再び止まってしまった。

その逡巡を、息子との電話でつい口にしてしまった。結局、固まりかけていた決心や、ここしばらくの葛藤を話すことにした。

変わりつつあったのは私だけでなく、夫もそうだったようだ。そして独立して家を出た息子たちも。水面下でいくつものことが、少しずつ変わっていた。

それが引き金になり、自分の中にいくつもの感情が生まれ、蠢き出した。
自分の反応に驚いたり、呆れたり、うんざりしたり。自分自身が許し難いことを考えていることに気づき、慌てて蓋を閉めようとして気がついた。
〜すべき。〜せねば。「いくら何でもそんなこと思っちゃいけない」と狼狽え、慌てふためく自分がいた。

嫌だ!知るかー!あんたのせいやん!勘弁して!あり得ん…「ラッキー!セーフやったね♪」という声もした。これは絶対言うたらあかんヤツ。
バチ当たるんちゃう?怖い。いつか自分がそうなった時、陰で「ヤバかったな、セーフやん、ラッキー!」って嗤われたり、責められたりするで?だからそんな風に思ったらあかん!

カーッと熱くなって、ヤイヤイ騒いでる私。
怯えながら、蓋を持って右往左往してる私。
私は繊細やから耐えられへんとか、想像力豊かすぎて、ネガティブに振り切ってしまうとか。
粘着質に考えるから、自分責めのループに嵌ってしまうとか。また「性格のせい」にしてるなぁ。

でもそこに、ビビりながらも、話を聞いては頷いている私がいた。逃げ出さずそこにいた。(よくがんばった!エライで、自分!)

息子たちには、嫌な思いをさせたかも知れない。
これまで、こんなこと言ったら嫌われる、負担かけてしまう、と思って言えなかったり、よく見られたくて言わなかったりしたけど、言ってしまった。
恩着せがましさもあったかな?あったよね😓
それでも、思ったことは仕方ないし、人の受け止め方はコントロール出来ない。
気づかれてなかったらいいのにな〜と思うこともやめられない苦笑。

それでも、言ってよかった。私のために。
視界が晴れて少しだけ前より良く見えたそれは、想像ほどに悪いことばかりでもなくて。(新たな不安の種も見つけたけど。)

「どう思われるか」で測ることを止めていきたい。have to やshouldよりも、wantやdon'twantに気づいて、それを大事にできるようになっていきたい。

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