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【毛主席語録】 一、共産党 【書き下し日本語訳】

この日本語訳は筆者による拙訳であり、正確性を保証するものではありません。ご理解の上でご覧になってください。

まえがき

『毛主席語録』は、言わずと知れたベストセラーであり、1964年から、中国共産党によって編集・発行された、中国共産党主席・毛沢東の語録である。日本語訳版としては、平凡社を初めとする出版社によるものから、ネットで個人的に翻訳されたものまで、多種多様である。今回は、単に日本語で翻訳しても何番煎じとなり面白みがないので、現代中国語を強引に書き下す、という試みによって、この語録を翻訳(訓下文化)していくこととする。強引に書き下すのだから、この際日本語語彙に存在しないものであっても、日本語の相当する語彙への変換は行わず、読めないであろう語彙にはルビを振るものとする。また、特に難解なものに関しては、記事の最後に語彙の解説を別途行う。素人による翻訳のため、書き下し方の間違い、文法上の間違い、とりわけ古文の変格活用の間違いについては、御容赦頂きたく、またコメント欄で指摘して頂きたい。

一、共産党

我們われらの事業を領導する核心力量は是れ中国共産党なり。
我們の思想を指導する理論的基礎は是れマルクス・レーニン主義なり。
--『中華人民共和国第一期全国人民代表大会第一次会議開幕のことば』(1954年9月15日)、1954年9月16日『人民日報』

かりそめにも革命を要するは、すなわち一個の革命的党の有るを要す。マルクス・レーニン主義の革命理論と革命風格に按照てらし建立起来されたる一個の革命的党の有らざるは、就ち工人階級と広大なる人民群衆を帝国主義及び其の走狗からの戦勝へと領導すること能う可からず。
--『全世界の革命力量が団結起来し、帝国主義的侵略に反対せよ』(1948年11月)、『毛沢東選集』第4卷第1360頁。

共産党の努力有らず、共産党人が中国人民の中流砥柱ちゅうりゅうしちゅうらずんば、中国の独立と解放は是れ不可能にして、中国の工業化と近代化是も也た不可能なり。
--『連合政府を論ず』(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3卷第1098-1099頁。

中国共産党は是れ全中国人民の領導核心なり。這様こような一個の核心有らずんば、社会主義事業就ち勝利することを能わず。
--『中国新民主主義青年団第三次全国代表大会に出席したる全体代表との接見の時に在る講話』(1957年5月25日)、『新華半月刊』1957年第12号第57頁。

紀律有り、マルクス・レーニン主義の理論武装有り、自我批評方法を采取し、人民群衆と連繋する一個の党。這様な党に由り領導されたる一個の軍隊。這様な党に由り領導されたる各革命階級各革命派別の一個の統一戦線。れら三件は是れ我們が敵人に戦勝する主要な武器たり。
--『人民民主専政を論ず』(1949年6月30日)、『毛沢東選集』第4巻第1484頁。

我們は応当群衆を相信じ、我們は応当党を相信じ、しゃれ両条の根本的原理たり。如果もしも這の両条原理を懐疑するは、は就ち什麼そもの事情も也た做すも成らず。
--『農業合作化問題に関して』(1955年7月31日)、人民出版社第9頁。

マルクス・レーニン主義的理論を以て武装起来されたる中国共産党は、中国人民の中に在りて新たなる工作の作風を産生せしに、這の主要なるは就ち是れ理論と実践とを相結合するがごとき作風、人民群衆と緊密に連繋し一起ともに在るが的作風、以及および自我批評の作風なり。
--『連合政府を論ず』(1945年4月24日)、『毛沢東選集』第3巻第1094-1095頁。

偉大なる革命運動を指導する一個の政党が、如果も革命理論有らず、歴史知識有らず、実際の運動への深刻なる了解が有らずんば、勝利を取得するを要すは是れ能う可からず。
--『民族戦争の中に在りたる中国共産党の地位』(1938年10月)、『毛沢東選集』第2巻第521頁。

我們過去に説き過ぐるは、整風運動是れ一個の「普遍的マルクス主義教育運動」なりと。整風就ち是れ全党が批評と自我批評を通過とおりこしてマルクス主義を学習し来ることなり。整風の中に在る間、我們は一定の更に多くの一些いささかのマルクス主義を以て学び到る可し。
--『中国共産党全国宣伝工作会議上に在りたる講話』(1957年3月12日)、人民出版社版第11頁。

幾億人の中の中国人をして生活の好しをえらしむを要し、我們の這個これの経済の落ちおくれ、文化の落ち後れたる国家をって、富裕の的き、強盛の的き、高度なる文化の的きを具有する国家を建設し成り為すを要するは、這は是れ一個のはなはなやおおき任務なり。我們は所以に整風を要し、将来にも還た整風を要し、不断に我們身の上の東西の錯誤を把って整えふるうを要するは、就ち是れ我們が這項の任務を更に好く担負し起ち、同党外の一切の立志改革の志士仁人と更に好く共同で工作するをるに能らんが為なり。
--『中国共産党全国宣伝工作会議上に在りたる講話』(1957年3月12日)、人民出版社版第12頁。

政策は是れ革命政党の一切の実際行動の出発点にして、並びに且つ行動の過程と帰宿かえりとなりて表現されり。一個革命政党の任何いかなる行動もすべて是れ政策の実行なり。是れ正確なる政策を実行せざるは、就ち是れ錯誤の政策の実行にして、是れを自覚せずは、就ち是れ盲目の某種政策の実行なり。所謂経験とは、就ち是れ政策実行の過程と帰宿なり。政策は人民の実践の中に、也た就ち是れ経験の中に在りて、其の正確と否とを証明するを才を能い、其の正確と錯誤の程度を確定する才を能う。但是ただし人們ひとびとの実践、特別には是れ革命政党と革命群衆の実践にして、這種しゃしゅ或は那種あしゅの政策との相い連繫するがごときに同じからずは無し。此に因りて、毎一つの行動の前に在りて、党員と群衆に向け我們の情況に按じて政策を規定すること必須なり。しからかずんば則ち、党員と群衆就ち我們政策の領導より会い離脱して、しかも盲目に行動し、錯誤の政策を執行せり。
--『工商業の政策に関して』(1948年2月27日)、『毛沢東選集』第4巻第1284頁。

我が党は中国の革命的総路線と政策を規定しえ、又た各項具体的工作路線と各項具体的政策を規定し了えたり。但是しかし許多あまたの同志は往々にして我が党の具体的個別的工作路線と政策を記しとどめ、我が党の総路線と総政策を忘記わするる。而して如果も真正に我が党の総路線と総政策を忘記るるや、我們就ち将に是れ一個の盲目的不完全な不清醒な革命者たるべし、我們が具体工作路線と具体政策を執行する時候に在りて、我們の工作、就ち会い方向を失い迷い、就ち会い左右に摇れふるえ、就ち会い誤ちをのこさん。
--『普綏幹部会議上に在りたる講話』(1948年4月1日)、『毛沢東選集』第4巻第1314頁。

政策と策略は是れ党の生命にして、各級領導同志は、務め必ず充分に注意し、万々粗心大意ある可からず。
--『情況の通報に関して』(1948年3月20日)、『毛沢東選集』第4巻第1296頁。

語彙解説

  • 我們は、中国語で「我等」の意。日本語でも用例あり。

  • 既め及び就ちは、中国語で「〜をする以上は」と言う文章で、セットで使用される。ここでは、「既め」を無理やり「かりそめ」と読ませた。

  • 按照しては、中国語で「〜に照らして、〜に基いて」の意。ここでは無理やり「てらして」と読ませた。

  • 起来は、中国語で前に動詞を置くと、「〜し始める」の意味となり、更にその動作が持続していくという含みを持つ。つまり「建立起来」は「うち建てられる」、「団結起来」は、「団結する(団結せよ)」と訳すのが自然であろう。あまり上手な形にできなかったので、助言頂きたい。

  • 中流砥柱は、あるものの中心にある支えとなる柱のこと、すなわちここでは「大黒柱」のことである。

  • は、中国語で「これ」の意。ここでは「こ」または「しゃ」と読むこととした。

  • は、中国語で「あれ」の意。ここでは「あ」と読む。

  • 什麼は、中国語で疑問詞「何か」の意。日本でも禅問答で「什麼生(そもさん)」などという形で用いた。ここでは「そも」と読むこととした。

  • は、中国語で接続詞「の」の意。日本語の的よりも意味合いが広く、解釈も難しい。ここでは無理やり「ごとき」と読ませた。

  • 自我批評は、中国語で「自己批判」のことである。マルクス・レーニン主義においては、政治的な意味を持つ。

  • 但是は、中国語で「しかし」の意。ここでは「しかし」或は「ただし」と読ませた。

  • は、とも書く。中国語で「足りる」、「十分である」の意。ここでは、「たる」と読ませた。

第一章の訳者あとがき

毛主席語録の第一章は、比較的文量が少ないから、翻訳自体はそこまで大変ではなかった。古文の成績が良かったわけでも無しに、思いつきで初めてしまったことであるから、恥ずかしながら、文法や活用形が滅茶苦茶であろう。とりあえず第一章を書き上げられた事を嬉しく思うと同時に、この先が思いやられる…飽きて放り投げてしまうかもしれないが、悪しからず。

書き下しの間違い、文法の間違い、中国語翻訳そのものの誤り、語彙解釈の誤り、その他謬点等があった場合は、是非ともコメント欄で御指摘、 御教授頂きたい。ここまで読んでくれた皆さんに感謝申し上げる。


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