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10年前の7月

2010年9月から
2012年6月まで
岐阜県高山市に住んでいた

住み込みで仲居のバイトをしていて
ずっと京都に行きたいと思っていたけど
なかなかチャンスがなくて

高山は「小京都って言われてるよ」って
言葉に釣られて選んだ場所

でも文字のごとく
「山しかないんでしょ?」って思ってた

「岐阜」って文字も
引っ越し前に荷物を送るときに初めて書いた
日本のどこにあるのかも知らなくて
本当に縁遠い場所だった

そんな場所だったはずなのに
あっという間に街に惚れ込み
住民票も移し
本格的に住むんだって決めたのは
行ってから半年後くらい
東日本大震災のちょっと前だった


あの街での出来事が
2年にも満たない期間で起こったなんて
本当に信じられないくらい
今思い返しても濃厚過ぎる日々だったと思う


たった3ヶ月だけいた旅館は
とにかく試練試練の毎日で
1日1日が本当に長く感じた
カレンダーに毎日✖︎印を書いていく日々なんて
後にも先にもあの時だけだろう

高山は木工家具の街で
そのための職業訓練校があった

そこそこの良い会社を30手前で辞めて
家具職人になるためにそこに通うんだっていう
男の子2人とシェアハウスもした

当時全盛期のmixiで
なんか不思議なタイミングで繋がって
顔も見ずに一緒に住むこと決めた

ドラマのような展開は何もなかったけど
私が学校の仲間に入れてもらったり
朝まで飲んで語り合ったり
楽しかったなぁ

今は何してるのかなぁ
あれから連絡は全くとっていない


高山では今の夫にも出会った
夫が福岡に帰るってタイミングで付き合い始め
1年ちょっと離れて付き合ってたけど
そろそろ高山もいいかなぁと思えてきて
福岡にくることに

更にその10年前くらいから
憧れ続けていた人が博多にお店を出し
福岡に呼ばれてると思ってきたけど

それでも恐らく
夫に出会ってなければ
あのまま高山に住んでいたと思う

今でも大好きな街
第二の故郷


そんな場所から
引っ越してきたのが10年前の7月

7/1に高山を出発し
そこから2週間かけて
実家がある宮城に帰る計画を立てた

大阪
京都
伊豆
東京
横浜
埼玉

それぞれの場所で
会いたい人に会うことだけを決めて
その他はノープラン

お金もないから
電車とバスで移動して
どこで乗り継ぐとか
この日は誰のおうちに泊めてもらうとか

プラン立ててるときが
本当に楽しかった

友達に会うこと以外は何も決めず

京都でも
なんとなく本屋に立ち寄り
観光雑誌をパラパラ
隣りで話してた人が
「ここ良いらしいよー」って言ってるのを
盗み聞きして
よし、そこ行ってみよう!って
行き場所決めたり

もちろん1人
それでもとっても楽しかった
あの2週間は今でも特別な記憶

2週間かけて福岡に戻り
7月中には福岡に来てるってことは
実家にいたのは
1週間足らずだったんだろうな

それくらい
あの頃の私にとって
実家や地元は戻りたい場所でも
のんびり過ごしたい場所でもなかったんだよなぁ


あれから10年

この前初めて
ちょっと本気で地元に帰りたいと思った
今じゃ地元に実家もないんだけど

大人になったんだろうなぁ

そんなことも思うけど
太宰府で頑張るよ
頑張らなきゃ

一緒に頑張ってくれる仲間も
応援してくれる友達もできたから


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