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日記⑯(2020.10.17)

 いまが秋なのかどうか、どうにも疑わしいですね。季節の移り目があまりにも鮮やかで、たとえ目を瞠っていても素通りしてしまいます。冷えによる体調不良を防ぐには冬の格好をしなくてはいけません。

 久々にnoteに何かをあげようと思ったのですが、それに値する身体的事件はなにもないので、ここ最近の、ぼくの精神における変化、あるいは変調を書きます(前者に比べて面白さは大きくなくなることが予想されますが)。

 先月の上旬に、ある事象がありました(「起こった」ではなく、それは継続しています)。それはぼくの特に精神に影響を及ぼしています。
 モチベーションとはまた別のベクトルで、その事象があることでもっと頑張らなくちゃな、と思うようになりました。これは追い立てられてのことではなく、自然的な発露としての感情です。ぼくは年内に連作短編を投稿し、年明けから新人賞原稿に着手するという予定をたてていて、これまでであれば後者に注力するために前者は気張らず、ほとんど自然体で(良い言い方をすれば、ですが)書こうという意識になるのですが、今回は前者にもそれなりに力をこめて考えています。

 数日前、バイトで使うシャツのアイロンがけをしながら、録画していた「のだめカンタービレ」の再放送を視聴していました(ぼくはアイロンがけにかなりの時間をかけてしまいます。このときも三話分でした)。
 そのなかで、シュトレーゼマンが千秋にラフマニノフの二番をやるように指示し、悶々と納得を繰り返して、シュトレーゼマンの指揮するオケと合わせます。軽く(すくなくとも見かけ上は)弾きこなす千秋にオケの人たちは「さすがだ……」となるのですが、シュトレーゼマンは練習を中断、そして千秋をつよく叱責します。その叱責に対し、またもや悶々を抱えそうになる千秋に、「もっと没頭しなさい!」と追い打つのです。
 ここでぼくもはっとしました。没頭――ぼくがこれまで数々挑戦してきて、その挫折に共通した要因です。没頭ときくと、いまでも逃げ出したくなります。でもそもそも、没頭はそこに自意識が抜け落ちて、没頭を忘れているときに没頭は起こるもので、パラドックス的な定義なわけです。とはいえぼくは、没頭具合が足りなかったためにいくつかの挫折があるわけで、どうしても不安要素になっています。

 ぼくは小説に没頭できているのか――そう考え続ける以上、没頭は起こりません。この先ずっとこの問題を伴いつづける予感があり、それはとてもおそろしいものです。
 でも、そんなことも言っていられなくて、とにかく目前の小説に全力で(イメージとしてはインプットで満杯にした引き出しを小説ごとにひっくり返す行為)取り組む以外にはありません。

 つぎの連作短編は、これまでwebに投稿してきたものとは熱量が異なると思います。あくまで習作の域から、本気の小説になります。新人賞に出していたものは本気のものなので、そこに怖さはありませんが、冷却期間のないことがすこし懸念点です。これも、その「ある事象」に促進されてのことです。うんうん唸っています。きっとやりとげます。期待していてください。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。