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日記⑭(2020.05.02)

 鬱だ。

 でも、ぼくよりも大変なひとがいることをぼくは知っている。コロナで内定取消を食らった人もいると聞いた。それは自分で認識すると一番身に刺さる。
 他人にそんなことを言われたのでは、何てことない。でも自分で思い至ると、その異物はつよい存在感を持って毒になる。

 眠れなかった。久々に外出して幼馴染と散歩して、確かに身体は疲れていたはずなのに、全く眠りにつけなかった。躁のあとには鬱がくると、意識の外では思い出していたのかもしれない。母のつくってくれた昼食は量が多かった。
 ゆっくり、それから沈んでいった。昨晩、明日は授業を受けて『或る女』を読み終えて、筋トレをして次の本に取り掛かろうと決めた。でも境界であるはずの眠りがなかったために昨日と今日(今日と明日)は続いてしまっている。

 この無気力には身に覚えがあった。一年前。何もかもが無理になって通学ができなくなった。社交不安障害という名前があった。じゃあ、これは何なのだろう。
 何をしたいのか、日常でしたくてできなかったことは何だったか、果ては自分が何を好きだったか分からなくなってしまった。時間の都合で後回しにしていたことは、それほど大してやりたかったことではなかったのかもしれない。
 浪費がこわい。何もしていない自分が嫌だ。嫌なのに、何もできない。そして下降。ゆるやかな渦。

 あと一ヶ月、は、ほんとうにあと一ヶ月なのかも分からない。新しい日常への馴化は、前進力がなければとてもできない。戻りたい。すこし生活習慣が悪くて、でも居心地がよかったあの日常に。

 煙草を吸おうとベランダに出るともう真っ暗だった。明日をきちんと迎えるために、今晩は眠れるといいな。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。