社会生活における化粧は誰のため?

ここのところコロナのおかげで会社から「通勤時はマスク着用」の指示が出ているますいけです。マスクに眼鏡で通勤しているため、「化粧かー。いいや!」とどすっぴんで出勤しております。

メイク事始め

私のメイクはじめは高校生の頃に始めた演劇の舞台メイクが始まりです。高校生ともなれば学校にメイクをしていく人もちらほら出てくるお年頃ですが、ぎりぎりまで朝寝てて、通学電車の中でお母さんが作ってくれたおにぎりをモリモリ食べてるか、夢中になっている読書を電車の中でしていた私は、朝に化粧をする時間もなければその習慣もつきませんでした。

そんな中、舞台メイクに出会ったのです。アイライン(目張り)をがっつり入れて、役に合わせた顔になるというのは常日頃から変身願望を持っていた私にとって「おお!!別人の顔になる!これは非日常を味わえてよい!!」というものでした。メイク自体が人格を変えるための道具だったのです。

日常的に化粧をするようになって

大学生日常的にメイクをするようになりました。メイクと言ってもファンデーションとアイライン、シャドウだけで同世代の子たちと比べるとメイク道具は少なかったように思えます。この時も一番重要視していたのはアイラインでした。舞台メイクでアイライン(目張り)で顔の印象ががらりと変わった経験を持ち、眼力鋭くいられるアイラインを引いた顔を私は気に入っていて、何はなくともアイライン!!だったのです。

ここまで見ると、私は私のなりたい顔になるためにメイクをしているのであって、外部からの評価のためにメイクをしていたわけではないという事が分かります。仮に「その化粧、男受け良くないよ。」と言われたとしても「やかましい。私は私のなりたい顔になるためにメイクをしているんだ。誰かのためにしているんじゃない!」とはっきり言えます。

流行に乗らない

世代…と言ってしまえばそれまでなんでしょうが、私の世代(1980年生まれ)だと、メイクを始める高校生や大学生の頃は安室奈美恵さんの人気がものすごかった世代です。皆、授業中には毛抜きで眉を抜き、細く整え、中には眉毛を書いていないと”麿”になってしまう方もいらっしゃいました。高校の教師は「絹糸のような眉の人には内申点はあげられません」と言っていました。
私は、眉毛の自己主張が激しい顔で、ぶっとくギリッとした眉毛をしています。いくら流行だからと言って、この自己主張の激しい眉を細くして、毎朝書くだなんてめんどくさいの極みだし、私はこの自己主張の激しい眉が好きだったので流行に乗らずにそのままで通しました。
それだけ自己主張の激しい眉毛なので、下手に書いたらえらいことになってしまいます。西郷どん間違いなしです。人生においてアイライナーは何本も買っていますが、眉ペンは一本たりとも買っていません。

カフェで見かけた光景

高校は女子高でしたが、大学は共学でそこでも演劇をやっていた私は男性が舞台メイクをするのをしょっちゅう見てきました。なので、化粧に対するハードルはいい意味でとっても低いんじゃないかと思います。

先日カフェでタバコを吸いながらコーヒーを飲んでいたら、出勤前であろう50代くらいの男性が小さな鏡を取り出したかと思いきや、眉毛を書きだしたのです。書くだけではなくて、ブラシを使ってぼかすところまでしていました。私なんぞよりはるかに眉を書く技術を持っています。眉を書く前はどことなく頼りなさそうな優しい感じのおじさんだったのが、眉をかきあげるといかにも頼りがいのありそうな方へと変身しました。これを見た時、
「化粧はなりたい自分になるためにするものなのだ!!」
と実感したのです。自分が背筋を伸ばして自分のなりたい見た目に近づくために、自分のテンション上げるためにするものだ。と。男性もなりたい自分に近づくためのメイクしたっていいじゃないか!!と。
なりたい自分が女性とは方向性が違うので、男性のメイクは女性のメイクとはまた違ったものになるかとは思うのですが。

就労支援の現場でも

新卒の就職活動している頃、化粧はマナーと言われていました。ですのでちゃんとメイクをしていくのが当然でしたが、それは女性に限った話でした。

先日ある、就労支援の現場で面接を控えた男性利用者さんに、メイクが得意な方がメイクをしてあげたという話を聞きました。その現場にいたわけではないので、メイクをされた男性利用者さんのビフォーアフターを見たわけではないのですが、おそらくいい方向に面接官へに与える印象を変えられたのでしょう。そして、その男性利用者さんもそのメイクをした顔を気に入ったのでしょう。帰りにドラックストアでメイク一式を購入しに行ったというのです。

化粧は「こうありたい自分」や「外部に見せたい自分」という自身の意思を表すためになされるものであり、誰かのためとかではないのです。社会における化粧もそうであっていいと思うのです。
自分でこうありたい自分を見つけ、それを化粧で表すならどこをどうしたらいいかを考え、その化粧の技術を身に着ける。すべて自分のためです。マナーとか身だしなみの一環として収まりきれない化粧の可能性は大きいのではないかと思います。

そのためには”自分自身がどうありたいか”を考えるのが大事だなぁと思います。すべては社会のためじゃなくて、自分のために。です。

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