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意地でも着物

ゴスロリできめてる人に「どうしてそんな服を着ているのか」と聞く人はあまりいないだろう。いかにもバンギャの格好をしている人に「ライブ行くんですか?」と聞くのも少し親しくなってからだと思う。人の着ているものについてあれこれ言う、ましてや本人に直接言うのは憚られる。

しかし、着物を着ていると、かなりの確率で「どうして着物を着ているんですか」と聞かれる。よく「お茶を習っているんですか?」と聞かれる。何故なんだ。

念のため言っておくと、私の場合そんなふうに聞かれるのが不快ということはめったにない。しかし、あまりにも会う人会う人に聞かれるので疲れてしまう……というのは、普段着として着物を着始めた人あるあるだと思う。

初対面の人に会うときやパーティーに出席するとき、相手が目をとめて話のきっかけにできるようなブローチや時計を選ぶという話を聞いたことがある。もしかしたら、「この人は話のきっかけにするため着物を着ているのだ、着物を話題にしないと…」と気を遣われているのかもしれない。

しかし繰り返しになるが、あまりにも、会う人会う人に聞かれるのである。好奇心から尋ねられていることがほとんどで、批判されているわけではないのだが、だんだん批判されているような気持ちになってくる。

そしてモクモクと、とある感情が芽生えてくる。
「日本人が普段に着物を着て何が悪い!」
という感情である。

この感情が芽生えると、いついかなる時でも着物で通したくなる。ジャージの部屋着の方が明らかに動きやすいのに、たすきと割烹着で掃除をする。ユニクロの方が洗濯が楽なのに、ポリエステルだから洗えるといって焼き肉屋に行く。他の客にドン引きされながらも、スーパー銭湯の脱衣場で着物を脱ぎ着する。

なにか、こう、意地になっていないかと自問してみて、意地になってなんかいないと言い切る自信がない。私は何と闘っていたのだろう……

現在の私はこの意地になっている状態から解脱できたのですが、その話はまた今度。

ありがとうございます。