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マンガの主人公がやっていてカッコ良いか悪いかで判断するんだよ

電子書籍やマンガに関わって7年になります。
出版社、版元さんに飛び込みで営業させていただいて、少しずつお取引させていただいて、関係を構築させていただいて今、お仕事をさせていただいてます。

でも、たまに、というかこの仕事をして初めてなのですが、、、
7年間やっていて初めて憤りを感じる事象が起きて、戸惑いと悲しみと理解できない感じで困惑している2019年の年の瀬、もうnoteに書かざるをえなかったので吐き出させていただきました。

詳細は省きますが、とにもかくにも不義理を唐突に、味わった、ということなんですが、、、

メール一本で、「御社を商流からはっずしますね~もう書店とも話がついているんでテヘ!」みたいな。

え、いやいや、略儀ながら、ってレベルじゃなく略儀すぎるやろwww って笑った2秒後に泣けてきました。

思い返せば電通での営業時代、仁義という言葉が社内でことあるごとに飛び交っていました。ポケモン時代もそうだったかな。
当初は、仁義って言葉、なんか任侠っぽくておっかないなぁなんて思っていたりしたんですが、実際に仕事をしていて、仁義は大事、って認識させられることがしばしばありました。

広告代理店という業種、さらに営業という職種からしてステークホルダーとの仕事しかない中で、仁義を欠いた営業マンには仕事は回ってこないし、仁義を欠くと社内外問わず信頼を失います。信頼がない人に誰もかれも期待をしなくなってくるのは当然です。

仁義、それは“相手に配慮して、配慮の中で答えを調整していく”という、日本っぽいといえば日本っぽいし、今の時代や外資などのドライさとは反するのかもしれないのですが、その仁義を大事にする風土自体が僕自身は好きなんです。

だって仁義でものすごい救われてきましたから、自分なんて。

いまだにポケモン時代の上司にはごちそうになってるし、インテリジェンス時代の上司の方々にも甘えん坊将軍させていただいているし、電通の人たちのゴルフコンペにも遊びに行かせてもらっている。何にも返せていないけど、僕自身が会いたい人たちだから会いたいと伝えて会いに行っている。

さっき泣けてきた、と書いたのは、文字通り悲しくて泣けてきたってのもあるんですが、それと同じくらい悔しくて泣けた、ってのがあります。

いろいろと話して、交渉して、その中で自分たちのパフォーマンスに問題があって、なら納得も出来るしまだいいんです。戦であれば負け戦だった、と反省し次こそ! だったり今関係しているステークホルダーにはそうならないよう全力パフォーマンス出し切ろう! って思えるので。

でも、一方的に「おっつ~、じゃあそういうことで!」って、そもそも戦にもなっていなくて。自分どうこうじゃないところで決められてハイさよなら、っていうのがもうなんだか悔しくて悔しくて。

この業界は、属人的な要素を多分に含んでいます。出版業界は歴史的な文化背景が大きいので、その流れとしても人間関係で仕事が発生することも多い(もちろん新参に厳しかったりはありますが、それもまあ理解が出来る)んですが、逆にその流れに乗ってしっかりパフォーマンスを出していればちゃんと会話が出来る、それはそれは真っ当・まともな業界だと思っています。

今回で言えば前任の方と始まった取引で、数年たって後任の人とのコミュニケーションが不足していたのかな? などと反省すべきことはあるのかもなのですが、、、

で、ですね。
何が言いたいかというとタイトルに書いた言葉に尽きるんですが。

お前が読んでるマンガの主人公がやったらかっこいいか? それ。

竈門炭治郎がそれ、やる?

僕は自分に嘘をつかない、そう決めて生きています。行きたくない会食は設定しないし、行きたくない遊びもしない。それは、自分が好きなマンガの主人公だったらそれはしないだろうな、と思っているから。
僕は花の慶次の前田慶次が大好きだから、その前田慶次だったらこんなんしないだろうな、ってことは絶対にしないと決めています。

好きなマンガの主人公が、それが誰であれ良いのですが、自分の人生の主人公は自分自身で、その自分自身が主人公で生きているその人生を、誰かにマンガとして描かれる際にカッコイイかカッコ悪いか、それを判断の軸にすべきなんじゃないのかなって思ってたりします。

むしろもうマンガの主人公とかじゃなくても良いです、人として、でも良いです。
仮に子供がいる人であれば、その判断が人の親として胸を張れて「父ちゃんはこんなことをしたんだよ」って子供に伝えられる、背中を見せられる人であるか否か、ということを意識して生きなければならないと、強く思っています。

(じゃあnoteに吐き出すことを前田慶次がやってんのけ? って言われたらぐうの音も出ないんですが、一応はっきり今回の本人にはおいおい、って思っていることは伝えたので良しとしていただければ幸甚です)

何にしても、人に話して(話さなくとも)誇れる人であらねばならないな、と改めて自戒できる事象が発生して、それが年の瀬にあって良かったなと今はポジティブにとらえられて良かったです。改めて2020年以降の自分自身の生き方・生き様を再認識できたので。

あと、あまりに感情が高ぶりすぎて帰りがけに一人飲みを初めてまともにすることが出来ました。ありがとう。

一方でFacebookで吐いた感情にすぐに反応してくれて、悲しみとも悔しみとも取れない感情を受け入れてくれた友達、人生の先輩、悔しさを共感してくれる同僚がいてくれたことも嬉しい事象になりました。一生ものです。


最後にこれだけは言わせてください、、、

というか契約書見ろッッッ ダメッッッ 不義理とかじゃなく、契約書上それダメだからッッッ

ちょっと福本先生っぽい表現になっちゃいましたねテヘ
ああ、noteすっきりする、ありがとうnote様。

※当人の転職云々のところは語弊があった模様なので削除しました。すみません。

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