学びたいことが決まるまで
新しいこと多すぎ問題
一年の計は元旦にあり、というありがたいお言葉がある。
何か新しく物事を始めるには確かに年初めというのはタイミングもいい。
例に漏れず自分も何か新しいことを始めようと考えた。がしかしいざ新しいことを始めよう、と意気込んだものの範囲が広すぎる。
「新しいこと」って言われても世の中は新しいことだらけだ。右を見ても左を見ても新しいことに溢れている。若いうちは興味、好奇心で始められたがそろそろ勢いだけでは自分を説得できなくなってきた。
さてどうしたものか。
そもそも学ぶ意味って
そこで一度冷静になって、どうして自分は学ぼうとしているのかを考えた。
人並みには知的好奇心はあるものの、それは学ぶことの本質ではないと思った。なぜなら、学ばなくても知的好奇心は満たすことができるからだ。
学ぶ=知る、ではないらしい。
学ぶことによってどうなるか。自分の答えとしては、学ぶことによって生きやすくなることが第一の理由になるだろうと思った。学んだことは生活で使える、生活で使えるということはそれまでの生活を少なからず良い方向へ変化させることが可能になる、というロジックだ。
第二の理由に、学んだことは継承させることができる。現在自分には子供がいるが、子供に生活上役立つスキルとして継承させられれば、それは自分が新しく学ぶ理由にもなるだろう(もちろん継承したいかどうかは子供次第だが)。
生活を向上させ、継承も可能な何かを習得できる。これが自分にとって学ぶ意味となった。
プリミティブな選択
学ぶ意味を自分の中に落とし込んだことで、何を学ぼうかといった問題に解決策が生まれた。
生活を向上させることを目的として考えると最終的には衣食住のいずれかに属するものが好ましいと考えた。例えば食ならわかりやすいのが料理だし、解釈を広げれば栄養学にだって辿り着く。衣や住に関するものだっていくつか出てくる。こうしてリストアップされたものからさらに選別していくのだが、この時に第二の理由である継承可能なものというフィルタをかけていく。
先の例で言うと、料理はまぁ継承しやすい。興味を持ってもらいやすいからだ。しかし栄養学になると興味を抱くかは個人に依るところが大きく、継承のハードルが高くなってしまう。こうした選別を繰り返していく。
できたらいいな
こうして選別を進めている間に、ふと現在の家の中の様子を振り返る。
子供はまだ小さいので、まぁ服を汚す。もちろん手も汚す。自分一人では想像できないくらいハンカチが必要になる。旅行先の自宅への定番お土産はご当地ハンカチになるくらい必須アイテムだ。それまでなんでハンカチが土産の定番みたいな顔で陳列されているかいまいちわからなかったが、それだけニーズがあることを体感した。
ふと思った。夜中にハンカチが足りない!そんな時に自分で用意できたらこれはめちゃくちゃ便利なんじゃないか。ハンカチを皮切りに、少しのものなら自分で作れるようになれば、補修含め生活力の底上げになるのではないか。
何より子供がそこから興味を持って、大きくなって服装を気にする年齢に成長した際、継承した学びを基に解決策を考えられる人間になるのではないか。
できたらいいな、と自然に思った。
2024年の学び
こうして、2024年は裁縫にチャレンジすることにした。
とりあえず1月中にミシンを用意するところまでは進んだので、マイルストーンを決めて、趣味ではなく「学び」として頑張っていこうと思う。
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