その3


また「三年目のぴぃちゃん」の感想のつづき。
あっさりいってしまえば彼女さんの試し行動(浮気)で彼氏が懊悩してる話。
しかしただの試し行動ではなく、これで好転すると考えている彼女さんという、これだけで彼氏は苦しむものがある。なぜなら愛があるから。
愛ゆえのNTRという耐え難いものを彼氏は耐えている。
そんな手段を取らずに二人で話し合って、対応策を考え実行すればよかった。その上で彼女が浮気するかどうかも二人で決めればよかった。
それ以上に問題なのは、二人が互いの愛の量や質を測りかねていたから掛かる事態が起きたということも言える。
自分の愛を示し、それを相手に伝えること。
相手の愛を感じ取り、その評価をすること。
出来てるという人も居るだろうけれど、なんとなくやっていて、なんとなくうまくいってるだけだろう。
そんなことではいつ壊れるかわからない。
そういう儚げなところが恋愛の良いところでもあるけれど、いつまでもそういうグダグダなことを放置したり、見ないでいることをするのは不誠実。
裏返せば、浮気するのは自分の気持に誠実だといえる。
浮気を許せるのは相手の気持に寄り添ってるとも言える。
しかしそういう相手に甘えて浮気し放題になればそれはそれで酷い人物というだけの話。
これらは希望や願望を伝えたり行動してると言うことであって行動だけど言語化しきっては居ない。
行為の前に言語化があってほしい。
そして言語化するには自分の愛情を言葉や何かで示さないといけない。
それが相手に伝わり理解して貰う必要がある。
そういうあたり前のことが出来ていないことが、わかってしまうのがNTRだ。
愛し合ってるつもりでも、なんとなくでしか伝わってないから、彼女とぴぃちゃんのようなことになる。この物語ではNTRによって二人の間の問題があらわになる。そこがいい。


「ALL I LOVE , I LOVE ALL」雪祭うに

AIの話の分量が大きい。AIといえば攻殻機動隊やBEATLESS。
マクロスプラスなどいろいろ作品はある。

この作品では自分の代わりに仕事をしてくれる存在としてのAIが挙げられている。
それは勝手にでっち上げられて作品を生み出すマシーンとしてのAIと、自分でカスタマイズして自分の分身としてのAI。このAIで自分の支援をしてくれることを求めるタイプとが登場する。

ネット上での性的な行為も可能なので、自分の代わりに恋人と関係してくれるAIという構図もある。
面倒になって双方がAIを差し出してることも有り得る。
オリジナルと致してるつもりが恋人のAIと致してたなんてのは、どっちが裏切っていると言えるのか。哲学的な悩みになる。

示唆に富んでいる。

オリジナルのヒューマンの生きる糧を大事にするなら、AIはオリジナルのサポートに徹するべきだし、オリジナルは面倒くさがらずにフィジカルを動かし続けるほうが良い。
怠惰を決め込みすぎると、怠惰な状態が普通になり、それを繰り返すと熱死的になってしまう。
オリジナルが失われればコピーAIも失われる運命だ。
元の活力がなければ、なにもないことと同じだ。
面倒くさがってはダメなのだ。

AIを恋人の相手として差し出すなら、理由は「面倒」ではなく「そのほうが面白いから」でなくてはいけない。
そうでなければ死んでしまうからだ。
面倒なら。生きなければいいだけだからだ。

NTRをする人はそういう死に至る病から遠い。
NTRされて苦しむ人も同様に無縁。
AIという便利なツールが、ひどく楽しい未来も切り開くし、何かの拍子で自分を真っ二つに引き裂いてしまうかも知れない。
そう考えると性について考えるなんて幸せなことだ。
それが恋人を寝取られたとしても。それで苦しめることが生きてる証。

この物語で示される可能性の一つにAIも寝取られる可能性がある。
寝取られたAIが苦しむ姿というのも興味深いし、
寝取られに苦しまずに淡々とするなら、その理由を言語化してほしいものだ。
人には寝取られを歓迎する人も居るから、AIも歓迎しても不思議ではない。
AIはNTRを歓迎できるか?
AIは愛情をどう解釈するのか。
AIの愛情解釈からNTRをどう位置づけるのか。
NTRからAIが愛情関係を因数分解して欲しい。
それを見た人は、愛を再定義するだろうか。

好きと嫌いも定義し直されたりしないだろうか。
性的なことをする人と、性的なことをしない人との違いを定義してたら、
しない理由とする理由が区別できなくなることも有り得るだろう。

するとしないの差がわからなくなり、
好きと嫌いの違いも曖昧になり、
在ると無いの違いも朧になれば、愛も生も性も無いも同じになるかも知れない。そのときは愛と生と性しかない世界とも言えるかも知れない。

なんつってな。


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