脳破壊☆NTR小説集の感想 1

映画ドライブ・マイ・カーからこっち、浮気やNTRに関して考えることが増えた。ドライブ・マイ・カーも奥さんの突然の退場がなければ、浮気を許してもらうフェーズと言うか公認を取ろうとしていたようにすら見えた。
夫は許す気があったように見えたが、許す前に許す相手が消えたのは仕方ない。
「花束みたいな恋をした」も割とはっちゃけたヒロインが彼氏の前だけは真面目に振る舞っただけで、彼氏が理想の彼氏像から離れていったタイミングで元に戻るという映画だった。とてもおもしろい。
そんなこんなでNTRには興味があった。

文フリで見かけて気になったので買ったのがこれだった。


序ではNTRは描きにくいと書いてあるけれど、凄く狭く状況を設定しすぎてるように見える。不倫や浮気もいいようによってはNTRだから、そんなに厳密に定義しなくていいと思いました。
浮気や浮名という語があって、80年代くらいに不倫という語が出てきて、最近はNTRという語もあるという程度でいいでしょう。
それよりもNTRは浮気や不倫に比べて、当人の意識や考えにフォーカスすることが多い。
考え方一つでNTRはただただ辛いだけにもなるし、辛いけど興奮もする人も居るし、ひたすら興奮する人も居ます。
マイナスからプラスに転じる妙味。そのプラスに跳ね上がるところがNTRの醍醐味でしょう。

P9
『3年目のぴぃちゃん』 柏村悠

カップルだけど、二人きりの時は飼い主とペットの関係という最初からフルスロットル。互いに互いの唯一性を感じていて、噛み締めている。
「飼い主」のガールフレンドが、「ペット」のぴぃちゃんの感度の落ちにマンネリを見て取り、カンフル剤(デリバリーのホスト)を投入する。

その前にぴぃちゃんからマンネリを感じるのは、ぴぃちゃんが可愛そうだった。3年も同じようなことしてて、常に初めてのときのような新鮮な屹立が欲しいというのは手厳しい。ぴぃちゃんも青天の霹靂だったろう。

ぴぃちゃんは恋人の痴態を見せつけられどうなったかと言うと、苦しみ吐瀉している。そして興奮している。ここで興奮しなかったらNTRが成立しない。飼い主側のカンフル剤としての行為も無駄になってしまうところだったが、ぎりぎりぴぃちゃんの嗜好に沿った。本当にダメだったらこの恋がここで終わるところだった。

かくいう自分も元カノが知り合いと交際していると知った時はトイレに駆け込んだこともある。ぼくもどちらかと言うとぴぃちゃん側だ。

ぴぃちゃんは大変だ。
だがしかしNTRの場合はあえて考えてもいいはずだ。
「なにが嫌だったのか?」
「それは本当に嫌だったのか?」
そういう問いをぴぃちゃんに押し付けるのも良かったはず。
「本当に心から愛してるならこの程度のことは気にならないのではないか?」という意地悪な言い方もできる。
「なぜ気になる?ただの不覚悟ではなかったか?」と問い詰めるのもいいだろう。

実際、恋人に浮気をけしかけ、それでいても尚愛せることに拠って愛の深さを示す人も居たそうだ。
そこまで激しいと、その激しさ故に長続きしないというのが現実らしいけれど。

愛が心底深くて互いの愛もゆるぎ無いと思っているなら浮気位でびくとも無いはず。泣いたり吐いたりしたぴぃちゃんはその境地に達していないと言えます。
いきなり目の前で恋人の痴態を見せられたら動転するのも無理ないというのが常識人だな。
ただぴぃちゃんは自責にかられるタイプに見えるので、「ぴぃちゃんが悪いよ」と言ったら素直に反省しそうではある。

ぴぃちゃんはなぜ取り乱したのか?
取り乱す必要はなかったのでは?

考えれば考えるほど二転三転していくのがNTRを考える醍醐味。
正解のない旅。
正解しかない旅とも言えるかも知れない。
語って語れず。無言で働き伝動する。

どうとでも語れるのが強みかな。

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