『All I LOVE,I LOVE ALL』 の感想のようなもの

生成AIのせいで、クリエイターが圧迫されていく未来の構図や、
自身のSNS等の発言から自分の分身が出来てきて自分の代わりに仕事や私的なことも代替してくれる状況も描いている。

クリエイターへのプレッシャーに関して言うと、常に新しい物を作り続けることを課されて、常に人にもAIからも追われるという厳しさがある。
大昔なら人が真似るだけでもかなり大変だった時代が長かった。
創作スタイルを真似るのも、創作の技術的なことも真似るというのは容易ではなかった。
いまはYOUTUBEで勉強することで追いつける人がかなり増えた。
生成AIですぐさまそっくりそのままを打ち出すこともできる。
ほぼ同じものならさっさと作られる。
似てないものならいいのだ。
新しいアーキテクト、概念から生み出せば、そう簡単には追いつかれない。
ただそこまでの新規性を打ち出すのは難しい。

その新規性を打ち出すことの難しさを劇中のクリエイターは悩み倒して苦しんでいる。
似てるものならすぐ真似られてしまう。昔ならなかなかそれも出来なかったのに追いつかれるのが早すぎる現在。

スポーツだったら3割30本が打てるなら何十人でもプロで飯が食える。もっと食えていけるだろう。

最先端の創作系だと同じスペックの人が生きていくのは枠が小さいだろう。

この小説だとフィジカルならまだ大丈夫だというところも、侵食されている。AIアバターにNTRされるという形でなされる。

興味深い視点だ。

SF小説で、地球も月も正反対のところにもう1セットあって、同じ世界があって、宇宙探査をして帰った自分は妻によく似た女性と関係し、自分によく似た男が、妻と関係していたことを知って互いに激怒するシーンがあったが、この小説のそれもこれに似ている。

高い同一性が有るんだから、気にしないという人も居るだろうし、今作のように激怒することがあってもおかしくない。
他人よりはマシなんじゃないかな?とは思う。

個人が、一人でもあり無限人でも有るという提案は面白い。
恋人も一人であり無限人居るのだ。
唯一性からの解放は、限りない入れ替え可能性でも有る。
良くも悪くにも言える。ただ、限界がない。それだけ。

限界が想像力だけに委ねられる世界。
究極の世界と言えよう。

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