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森への手紙

大学のときに知り合った友人「森」の話、兼、森に宛てた手紙として書きます。

森と私は、大学の新入生交流会で知り合いました。
他学部の同級生です。

森というのは森の本名ではなく、私のつけたあだ名で、彼女が気合いの入った森ガールだったのでそのように呼んでいます。
森ガールというのは、私たちが大学生の頃に流行ったファッションで、森にいそうな雰囲気の女の子のことです。
森にいそうというのは田中陽希さんみたいなことではなく、森林にフィクションとして同化する、ゆるふわでややミステリアスな存在ということです。

実は今現在、私は森の本名が分からず、連絡先も分からず、共通の知人もなく、どこで何をしているか一切分からないので、ミステリアスどころではありません。

森の森ガールたる気合いの程はと言うと、下記の通りです。
ある日大学の構内で遭遇した森は、学部の何かか授業の何かで集団で山だか森だかに向かう最中で、にもかかわらずいつものゆるふわファッションで、
「森ガールというのはな、ヒールで森を歩く覚悟のある女のことだ」
と私に言い放ち、数センチヒールのパンプスの踵を鳴らして歩き去って行きました。
危ないから絶対やめた方がよかったと思います。

でもその佇まいが非常に印象深く、敬意を表し、私は彼女を森と呼ぶことにしました。
森は森で、私を本名とは関係のないあだ名で呼んでいました。
これは私が所属していたサークルの別の友人に付けられたあだ名で、秀逸だったので森に報告したところ、森もそう呼ぶようになりました。
宅飲みをしている最中に、ノリでアドレス帳の登録名も互いのあだ名に変更してしまったので、私はもう森の本名が分かりません。
おそらく森も私の本名を覚えていないはずです。そういう人だと記憶しています。薄情という意味ではありません。

我々が大学生だった当時は、スマホがぽつぽつ普及をはじめた頃でしたが、私はガラケーユーザーでした。
LINEも急激に普及しはじめた頃でしたが、まだインフラという程ではなく、私はLINEもやっていませんでした。
若かったこともあってやや尖っており、気軽にメッセージを受けるのが嫌だったからです。私の携帯を重要な用件もなく勝手に振動(マナーモード)させないでくれと思っていました。恥~~

社会人になったタイミングで、ガラケーからスマホに乗り換えたのですが、そのときに電話番号が変わりました。
メールアドレスも変えたんだったか引き継げなかったかで、変わりました。
そして無精かつあんまり個人的な連絡も来ない人間だったので、連絡先が変わりましたのお知らせメールが必要だと気付くのに時間がかかりました。
結構時間が経ってから一斉送信したところ、森の連絡先には届きませんでしたのエラーメッセージが返ってきて、今に至ります。

森は、信念のある人に特有のちょっと怖い目をしており、だからってこともないと思いますが、あまり人といるところを見かけませんでした。
人間は苦手そうな様子だったので、私の方でも友達を紹介することもなく、共通の知人がおそらく一人もいません。
森は、SNSも私の知る限りやっていませんでした。Facebookを蛇蝎のごとく嫌っていたのを覚えています。
森の所属学部も覚えていません。消去法で四択ではあるのですが、いかんせん総合大学で人数も多く、そもそも本名が分からないので、そこから探しようもありません。
名前も、これかな? と思う候補はあるのですが、姓は五択、名では八択あり、しかも全部違う可能性もあり、困ったもんです。

私はまだ人生経験も浅く、正直高を括っていました。
これから社会人になって、いろんな人と出会って、その中に森のような人もいるだろうとどこかで考えていたんだと思います。
あれから結構時間が経過しましたが、森のような人には一度も出会っていません。

でももし私が、森を本名で呼んでいて、友達を紹介したりして、複数の連絡手段で繋がっていたら、ずっと仲良くいなかったかもしれないとも思います。
実家の猫が、ちゅ~るをくれるけど爪を切ったり嫌なこともする母や姉でなく、自分に何もしない父のことを特に好きな様子なのですが、私は森にとって嫌なことをしない他者だったのかなと思ったりしました。

私にとっての森というのは、自分を認識するためにとても必要な他者でした。
他者というか、森は怖がると思いますが、実は外部化された自分のように思っています。
それは我々が似ているということではなく、森との会話の中で私は自分がどういう人間であるかを多く知り得たということです。
森は真に私を傷付けないという意味で限りなく私自身であり、私の知らない私の側面を明らかにし得るという意味では、私よりも私自身です。

なので私は、森の哲学にとても興味がありました。
森の部屋で、森の哲学の象徴である手持ちの服が全部見たくて、深夜にファッションショーをさせましたね。その節はご迷惑をおかけしました。楽しかったです。
森の本棚の本も全部読みました。これについては森も同じことをしたので無罪でいいですね。皇国の守護者の漫画版めっちゃいいよね。原作もいいのでそのうち読んだらいいです。

逆に、容姿とか性別とか、名前とか出身地とか、森が選んだわけではない偶然の森の構成要素には興味がなかったのだな、と今になって思います。
それらを一切覚えていないからです。

でも消息を探るためには、そういう情報の方が断然必要であり、現状はなるべくしてなったとも言えますね。
唯一、森が住んでいたアパートは覚えていると思うのですが、今となってはもう全然意味がなくてわろてしまいますね。卒業したら引っ越すのに。
ケーキ屋で森がどのケーキを選びそうとか、スーパーのお酒コーナーでどれを買いそうとか、その辺りは自信があるのですが。

しかしながらすごく惜しくて泣いてしまいそうかというと実はそんなことはなく、何でかというと、今でも、私の人生の端々に森はいるからです。
こんなこと言ってくる奴めっちゃ怖いですね。

Twitterで、ポケモンのムサシが、ミミッキュに言った「よくわからないけど、ピカチュウの姿でいることがあんたとって大事みたいだし」という言葉が素晴らしい というツイートを見かけて、誠に勝手ながら私は、森じゃん、と思いました。
私が酔うたびに、というか素面でも、世界に対する憤りを述べたあと、高確率で森は「たぶん分かれてないけど、あなたにとっては国会なのは分かった」と言ってくれました。
この「国会」というのは「あなたの国の国会で審議されるべき重要な案件」の意で、森と私の共通言語です。
あなたの国というのは、各個人の誰にも干渉されない領域のことで、これも森と私の共通言語です。我々の世界観では、ひとりにひとつ国があり、政府があり、法があり、内政干渉は許されません。
森は自分の国のことを、「私の森」とも言いました。精神的なベースが森なんや、と感動したのを覚えています。
森はいつも慎重に、きちんと国交をしてくれました。
分からないことを、理解できないと宣言した上で尊重してくれることは、私にとっては最上級の敬意に感じられました。
私の状況で、私の視点で、私が突き当たる問題に直面できるのは私だけであり、それを「分かる」と判断しなかった森の厳密さが私は好きです。
それは、私の問題に向き合っている私を、私の問題の第一人者として扱ってくれた、敬意だと思っています。
そういう誠実さを目にするたび、第三者の中に森を見つけます。

私には、森がどこでどうしているか、全く見当がつきません。
何せ森ガールなので、どこにでもいそうです。ヒールで森を歩く覚悟のある女は、どこに行って何を成し遂げていても不思議ではありません。
だから私は募金などをよくするようになりました。
森が災害にあってつらい思いをしていると困ります。
頼むぜ地球、と思います。
戦争も困ります。
頼むぜ人類、と思います。
事件事故も困ります。
献血を可能な限りするようにしていますが、森の血液型は知りません。
病気にかかる可能性もあるなと最近気付いて、それも困るので、使途が医療系の募金も些少ながらするようになりました。
森はどこにいるか分からないという方法で、私に世界平和や人類の平穏を願わせています。

だからものすごく会いたいかと言うと、そういうわけでもなく、ここにいないという方法で森は私の人生に関わっているので、私は寂しくありません。
今でも特に親しい人間を思い浮かべる時、当然のように森はカウントされています。

でも、もしかしたら森は私にすごく会いたいかもしれないので、ここに手紙を置いておきます。
結構思いつめやすい人のように思ったので、孤独に耐えかねたり、自分の価値を信じられなくなったら、頑張ってこのnoteに辿り着いてください。

森やい。
今になって、森の優しさや寛容さ誠実さ聡明さは、森が窮屈さや息苦しさを受けなければ完成し得ないものだったのではないかと思ったりしています。
であれば、森の抜群の良さの土台は、抜群の苦しみを覚える心なのではないかと思い、その点少し心配しています。
私は森に好かれていると特に根拠なく信じていますが、森はどうでしょうか。
もし私に好かれていると思っていないようであれば、私はあなたのことが一生好きなので、認識を改めてください。
別にそれはあなたの価値とは関係がないのですが、事実としてご認識おきください。

というか全然関係ないんですが、これを書きながら思いついたんですが、もしまた会えたら、本名で相性占いやってみようぜ。
調べてみたらサイトがたくさんありましたので、全サイトでやろう。

以上、私信でした。

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