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父の人生を変えた『一日』その34 ~車社会アメリカ~

その34 ~車社会アメリカ~
 シアトルに着任してすぐに新しい財経駐在員が転勤でこられた。私は先輩から一軒家を借りて住んでいた。家賃がもったいないのでその経理マンに我が家にすんでいただいた。夜は左ハンドルの車の運転の練習をしていた。私が助手席に乗って練習していた。我が家のガレージから車を出したときに異様な感じがした。よく見ると隣の家の新車の車にぶつかってドアが破損していた。ここがアメリカの良いところで事故に対して怒ったり怒鳴つけたりしないで保険証を見て安心して保険屋を呼んで難なく解決するのである。
「Oh my god」
その外人の女性はびっくりしてそう言ったが怒ってはいなかった。ぶつけた本人はガッカリしてしまい肩を落としていた。
 その経理マン意気傷心して「大阪に帰りたい」ともらした。アメリカの事故はきちんと保険さえ入っていれば問題ないとその経理マンを励ました。ある時は夜の車の運転練習だったが道路を走っていると向こうから来た車に「You are wrong way」とすれ違う時に言われた。
「あなたの道は進行方向、間違っていますよ」と、言われた。
一方通行の所走っていたのである。その後この経理マンとは仲良くなり家族付き合いをした。楽しい面白い経理マンであった。そしてシアトル支店の私の活躍と業績の向上をしっかりと見てくれた経理マンでもあった。


~倅の解釈~
 この経理担当者の方の家族とはいつも一緒だったので、懐かしい。親父と真逆の性格をしており、いつもオドオドと。アメリカに馴染むのに時間がかかった。水澤家は両親の遺伝子の関係かなんでもチャレンジして、実践するのが家訓のようなものだった。
 アメリカは勿論、電車やバスなどはあるのだが、基本は車。車検制度がないので、ボロボロの車が走っている。私も留学中にアメリカにて免許を取得した。各州にて法律が違うが、ワシントン州は15歳と半年で仮免許を取得できる。留学中、ホームステイ先の方の車で練習させて頂いた。16歳になったとき、両親から20万を送ってもらい、中古車を買いにディーラーへ。オールズモビルという車を12万で購入。古い車であったが、十分である。ホームステイの方と一緒に帰りは2台で自宅へ。
 ここでハプニング。。。10キロぐらい走ったところで車のエンジンがストップ。かからなくなった。前を走行していたホームステイ先の師範(空手の師範宅でホームステイ)が下りてきて「どうした?」と。エンジンがかからないことを伝えると、物凄い顔をして、電話をしてくれた。すぐディーラーがトラックで来てくれてそこからまた再度交渉。結果、12万を返金してもらった。
「It’s a lemon」と言われた。不良な車をそう言うらしい。
 結果、夢に見た初めての車はフォード車のトーラスとなって。20万ちょうどで購入。うれしかった。ただ、問題が保険料。16歳で運転するわけだ。月140ドルの保険料だった。両親を説得して入った。実はその後、2度大きな事故を起こし、最終的にはホンダのシビックで落ち着いた。ワシントン州にヒンショーホンダの社長と親父と仲が良く、激安で売ってくれた。
 お金がなかったので、いつもガソリンは最低限しか入れず、とにかく車を軽くして移動した記憶がある。高校3年生の時は、ボロアパートから高校まで車で30分かかったので結構大変だった。
 実は、私の運転でお親父をシアトル市内走ったことがない。アメリカ本土走ったことがない。本当は、親父と懐かしいシアトルを走ってみたかった。先日、隣の州、オレゴンのポートランドを訪れたとき、親父の写真をもっていき、少し二人でのドライブを実現した。生きていたら、「お前もっとちゃんと運転しろ」と喝を入れられていたと思う。今の夢は、親父が実現した水澤電機シアトル社員旅行の再現である。しっかりと稼いで実現してみたい。

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