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父の人生を変えた『一日』その84 ~改革~

その84 ~改革~
 それは大手電機工事会社への挑戦でもあった。東京・京都にしかない日本で3番目の造形大学が長岡に出来るという。大型物件であり大手電気工事会社が介入してくるとの噂が広まった。その反面地元の電気工事会社も成長してきている事を当時の建設省・新潟県長岡市にもよく陳情していた。結果だけをいうと地元長岡の電気工事業社3社で工事を請け負った。地元事業だけでの大型電気工事、当時は注目の的であった。あの受注ももう、20年前になるのである。それ以降出来る電気工事は分離出来るようになったと今になって述懐する。
 当社50%K社30%A社20%のJV共同企業体であった。しっかりと理路整然と事故もなく電気工事は進んだ。前受金を頂いたところ当社の経理部長は通知預金に入れて金利を稼ぎバーベキュー安全大会の費用に充てた。ある社長曰く『水澤電機はお金まで仕事させるのですね』仕事が完工し引き渡しが済んで大型物件でも地元業者でやれるというのは素晴らしい実績を残した。『模範工事』になった。長岡に着任にするなり一つの小さな『改革』であった。


~倅の解釈~
 親父はとにかく落ち着きの無い人だった。これが本当に大嫌いな方々も多く、親父を心底嫌う方々も多かった。この「落ち着きの無さ」には私やスタッフも日常的にやっつけられていた。
 『電話出ろ!!』
 『すぐやれ!!』
 『もっと分析をしろ!!』
 『もっと動き回れ!!』
 『アホ!!』
 今もたまに夢に出てくる。思わず、汗だくで飛び起きる日も月に数日有る。親父が亡くなって、社内のスタッフからある時こんなことを言われた。
 『前社長が亡くなって、寂しいです。なんか、怒鳴られる中での愛情があったんですね』と。
 勿論、私が社長になって私自身の器がまだまだ小さいからこんな風にスタッフに寂しい思いをさせているのですが、少しうれしい発言。親父の暴言は暴言なのですが、間違ったことを言っていないということに亡くなってから気づく。そこには、絶対に『この会社をいい方向に改革してやる』という大きな大きな野望と、先代と会社を良くすると約束した男の契りへの焦りと、私という倅に何とかいい状態で会社を継承しようとする親父の想いがこまれていた。不思議と、振り返ると、あの叫び声が懐かしく思う。
 『元博!! もっと早く起きろボケ!!』
 『元博!! 電話出ろ!!』
 『全然だめー!! 話にならない!! 問題外!!!』
 今朝もこの声で起こされた。


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