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父の人生を変えた『一日』その19 ~I LOVE寿司~

その19 ~寿司~
 アメリカでの滞在が長くなり、外人とも非常に親しくなった。お互いがファーストネームで呼び合う仲になっていった。「ライオン」、「ジミー」と言い合った。ある時、外人から「寿司」に付いて質問を受けた。「それなら今晩私の家に来い。寿司を食わしてやるよ」。外人は初めてなので最初躊躇したが、家に来た。これがサーモン・マグロ・ウナギ・たこ・いか・ウニ・ハマチ・筋子・とどんどん説明していった。その外人は全く口をつけなかった。サーモンをやっと一口、口をつけた。「ライオンこれ生で大丈夫なのか」。「新鮮だから全く問題無い」と答えた。「魚釣りの餌では見た事があるがこれを食べるとは」とぽつんと外人はもらした。
 巻き寿司にしたが黒い海苔も外人には苦手であることも解った。何度か回数を重ねる度に友人の外人は「寿司」を食べられるようになってきた。今や外人がアメリカ人の友人を連れて寿司屋に行くようになった。2年前にカナダ旅行の途中でシアトルのユニオン湖のほとりの寿司屋「I Love Sushi」と言う名の寿司屋に寄ってみんなで舌鼓を打ってきたことを思い出した。日本との商売をしている外人達は無理して日本の寿司や海苔を食べていることも知っておかねば解っておかねばならない。空手をやっている外人の日本思考で寿司屋に行ったりしているがそれも日本文化に近づこうとする行動である。寿司で一番美味しい「トロ」は脂のマグロ「oily tuna」と言いアメリカ人には脂が多すぎると思われなぜこれがそんなに美味しいのか解らなかった。ハマチこの魚尻尾が黄色いので「yellow tail」と呼ばれていた。寿司日本人の伝統的食事である。アメリカ人も日本に近づこうとして寿司を食べるのである。


~倅の解釈~
 父はアメリカ滞在が長くなるにつれて、人脈がドンドン広がっていった。人脈を広げる場は日本料理屋が多く、我々家族も年に数回連れて行ってもらった。当時はまだ、日本食を食べる場所もシアトルには少なく、主に商社マンが接待をする高級料理店、寿司屋、鉄板焼屋がメインだった。
 寿司文化も当時はまったくアメリカでは認められず、生の魚を食べる風習はまったくなかった。私が小学校におにぎりを持っていったとき、黒い海苔を見て友人がびっくりしていた。こんな黒くて磯の匂いぷんぷんするものを食べるのかと。まだ日本食の文化はまだまだ浸透していなかったアメリカ。今では信じられないことかもしれないが。
 「I love sushi」という寿司屋は父が通い詰めた場所。当時は日本人しか客しかいなかったが、近年はイチローが行ったりして、大人気の寿司屋になっている。これも、ヨシダソースの吉田会長のように日本という国や文化をまったくもって知らないアメリカに先人として、渡米して日本人の良さや素晴らしさをPRしてくださった方々がいたからである。それを絶対に忘れてはならない。大和魂掲げてアメリカへ飛び込んでいった武士たちの信用と信頼のうえで今の日本への理解がアメリカには存在する。

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