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父の人生を変えた『一日』その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~

その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~
 新入社員が入ってきた。お前の親父はなにをやっているのだ?
「はい、ヤナセの社長しております。」
「何?あの外車のヤナセか?」
この新入社員何時も私の社宅に遊びに来るときに来るたびに外車が変わっていた。㈱トーメンは良いところの育ちのよい家系、家庭の人が多い。ある時、財務本部をのぞいてみた。出納課のガラス越に何人かの女性社員が働いていた。
「ライオン、あそこで働いている女性社員が万が一1億円2億円会社の金を使い込んでもお父さんが次の日に1億円2億円持ってこられる位の大金持ちの家のお嬢さん達だよ」と言われた。驚いたものである。
名古屋時代野球部のマネージャーをいている可愛い女子社員がいた。いつの社員食堂でラーメンを食べていた。気だての良い子えあった。何時も私の無理な用事も無難にこなしていた。食堂で一人食事をしていると、人事部長が私の隣に座った。
「あの女の子、何時もラーメン食べてますね」と言ったら。
「ライオン、あの子が愛知県で一番山持土地持ちのお嬢さんです。」と言われてビックリしたことがあった。私のように貧乏育ちの田舎者は少ないのである。東京のホテルニューオータニの現社長も㈱トーメンでお世話になり修業した人である。昔から伊藤忠商事は『生き馬の目を抜く』くらいの社風と言われ㈱トーメンは『殿様商売』の社風と言われていた。それくらい家系の良い社員が多くいたのである。しかし田舎者でも学生時代に苦労したアルバイトをしながら乗り越えた環境に耐えた私は商売では絶対に負けないと思った。


~倅の解釈~
 この話はよく父から聞いた。本当にそうなのかは分からないが、いつもしていた。自分が田舎の貧乏な家庭からのし上がったことを強調するために言っていると今まで思っていたが、色々とトーメンのOBの皆様から話を聞くと事実の部分も大いにあるらしい。
 そもそも、親父は人が大好きであった。人というものは生きた人生がその人を創る。親父はその人生というドラマを本当に愛していた。映画監督のごとく、会う人会う人の人生ドラマを聞き、そのドラマをさらにドラスティックにして他の方に伝える。共有する。自慢に他人の人生を伝える。今になって振り返ると、名刺の裏に続かれている人生というドラマを聞き、更には一人でも多くの方々に伝えることで、本当の意味での人脈というものを構築していたのではと考える。
親父とは別の話しだが、親父が亡くなった後に、社長室に置いてあった開かずの金庫を業者さんに来ていただき、開けたことがあった。親父も中身を見たことが無かった。中からどんなものが出てくるか、少し怖い部分もあった。長時間かけて開かないので、ドリルで穴をあけて業者さんがやっとの思いで開けてくれた。中身は。なんと、名刺。正直、想像もつかなかった。水澤電機の先代はお世話になった方々の名刺を金庫にしまっていたのである。昔の方は本当に人脈を大事にした証拠。


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