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父の人生を変えた『一日』その31 ~Wolffおばちゃん~

その31 ~Wolffおばあちゃん~
 私の名前はライオン水澤です。アメリカはシアトルの隣町ベルビューというところに家を借りた。シアトルは日本の神戸と姉妹都市。ベルビューは大阪の八尾市と姉妹都市であった。隣の家の名前を見た。ウルフ宅。狼の名前になっていた。ドイツ系白人のアメリカ人。狼は「wolf」と書くが隣の家の名は「wolff」であった。おばちゃんの名前はジェーンと言った。気が強く、しかし優しいおばちゃんだった。何時も子供たちが大変お世話になった。息子、娘の元博、有香に対して「私をアメリカのおばあちゃんと呼びなさい」と言って可愛がってくれた。子供たちは何か困ると隣のジェーンおばさんの所に飛んで行った。
 何時も何時も良くしてくれるジェーンさんであった。ある時日本から持ってきた「振袖」をプレゼントした。涙をためて喜んでいた。すばらしいアメリカ人の女性だった。60才過ぎてから大学に通う才女でもあった。アメリカに来て子供たちが健やかに育ったのもジェーンのお陰とも思っている。
ある日の夕方、私は家でカレーそばを食べていた。ジェーンが我が家に入ってきた。カレーそばを食べたいと言う。「ヤミー ヤミー」と子供英語で美味しい美味しいと言って食べていた。あれ、おばちゃん姿が見えなくなった。すると大きな焼きたてのケーキをもってまた我が家に来た。「ライオン、私が焼いたばかりのケーキ美味しいか?」と聞く。即座に「まずい」と答える。「How come?」なぜだと聞く。「Too sweet甘すぎる」と答えた。ジェーンも食べてみた。砂糖の量を間違えたという。そんな、そそっかしいアメリカのおばちゃんが憎めない人である。そして全く笑ってしまう事が沢山あった。子供たちは本当可愛がられて宿題解らなければすぐに隣の家に飛んで行った。あの懐かしい光景がよみがえってくるのであるアメリカ万歳アメリカ万歳であった。


~倅の解釈~
 Wolffおばあちゃん。懐かしい。日本では貧乏な暮らしをしていたが、アメリカ駐在となりボロい社宅アパート暮らしから一転して一軒家。アメリカでの近所付き合いは濃い。良くも悪くも。水澤家はラッキーにも素晴らしい隣近所のWolffおばあちゃんと出会えた。
 当時のアメリカはまだまだ日本人が少なく、人種差別的な目でアジア人を見る雰囲気がまだあった。でも、Wolffおばあちゃんは全然違った。右も左もわからない日本から来た家族をあたたかく迎え入れてくれた。親父がケーキをまずいと記載しているが、これは本当に砂糖の分量を間違えただけで、Wolffおばあちゃんはスイーツづくりの名人だった。今もクリスマスが近づくと良く作ってくれたブラウニーを思い出す。
 日本には日本独特の文化があり、祝祭日自体も全然違う。ハロウィーンは今や日本では有名であるが、当時の水澤家は何もわからず、「トリックorトリート」子どもたちが回ってきた時、辞書で調べて、何かお菓子をあげるとわかったので、家にはスルメいかしかなくそれをあげたら翌日家が卵まみれになっていたなんというエピソードがある。 感謝祭の時の七面鳥の焼き方、芝生の刈り方、美味しいブラックベリーがなっている森の場所、なんでもWolffおばあちゃんに教わった。
 私が大学時代、ある日母から電話が来た。Wolffおばあちゃん亡くなったみたいだよ。日本にいた我々は葬儀に参加することは勿論できず、私は一人東京で涙した記憶がある。大学卒業の旅行でシアトルを訪れた。その時、Wolffおばあちゃんが住んでいた家を訪れた。また、近いうち、あの近所を見に行きたい。

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