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タレーランとピット

 

◇タレーラン、首相官邸を訪れる

 

1790年代初頭、フランス革命勃発後、ジャコバン派による圧政が強化され、貴族や聖職者に対する弾圧が公然と行われるようになると、多くのフランス人たちが祖国から逃げ出し、国外に避難所を求めた。イギリスにもドーバー海峡を渡って連日多くのフランス人たちが押し寄せ、政府はその対応に追われた。
亡命者の中には、フランスの政治家タレーランの姿もあった。タレーランは1792年より外交使節団の一員としてロンドンに滞在していたが、山岳派がクーデターによって政権を奪取したことで、帰国が困難になったのである。

そんなある日のこと。タレーランはダウニング街の首相官邸を訪れ、ピットを表敬した。
ピットは1782年にフランスを旅行した際に、この人物と会ったことがあった。当時、聖職者であったタレーランは伯父であるペリゴール大司教の下、ランスの大司教区で聖務を行っていた。大司教領に滞在を許されたピットは、そこで3週間を過ごしたのち、パリに向かったのだった。

全ての任務を解かれ、一亡命者となったタレーランは意気消沈していた。一匹の小型犬を連れ、不自由な片脚を引きずらせて歩くその姿は、哀れでさえあったという。
挨拶を交わすや、二人の会話はフランスの危機的な政情に移った。タレーランは今、パリでどれほどの血が流されているか語った。山岳派によって残酷な仕打ちを受けた王妃マリー・アントワネットに話題が及ぶと、タレーランは感情も露わに叫んだ。

「ああ、かわいそうな王妃様! お気の毒に!」

ピットはフランス王妃のことを個人的に知っていた。
かつてフォンテーヌブローを訪れた際、王妃と出会い、度々共にゲームに興じたものだった。小柄で茶目っ気がある、少女のような女性。遊び好きな王妃はピットを放さず、まるでお話をねだる子どものようだった。

あの日から10年——

王妃マリー・アントワネットはジャコバン派の陰謀によって罪を着せられ、国民から憎まれた末、断頭台で非業の死を遂げたのだった。

タレーランは自分の語った王妃の悲劇がピットを悲しませたことに気づくや、語調を変えて言った。

「ムッシュー・ピット、わたしの犬は踊るのですよ。どうかご覧ください」

 タレーランは立ちあがり、ポケットから小さな楽器を取り出して音楽を奏でながら踊りだした。

「ほらファンション、踊れ! 踊れ!」

主人の声に応え、子犬は音楽にあわせてジャンプを繰り返した。その滑稽な姿を前に、ピットの心は次第に軽くなった。顔には笑顔が戻り、やがて声を上げて笑い出した。
後日、ピットはこの日の出来事を友人ウィルバーフォースに語った。そのエピソードを耳にしたウィルバーフォースは、残酷な歴史を描き続けるフランス人の心に宿る良心を、ふと垣間見たという[i]。

 



[i] Wilberforce, R.I. and Wilberforce, S., The Life of William Wilberforce by his sons, vol. 5. London: John Murray, pp. 261-262.

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