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獨協が大隈早稲田(東京専門学校)に対抗して

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獨協が大隈早稲田(東京専門学校)に対抗して、山縣有朋や井上毅等当時の政府により作られたことが明らかになっている。

ドイツ学振興政策と英学の危機
茂住 實男(抜粋)

明治15年10月、政変で政府を追われた立憲改進党総理大隈重信、小野梓らは東京専門学校(早稲田大学の前進)を創設した。 同校は「学問の独立」を宣言し,不偏不党にして真正の学問を研究・教育することを謳ったが,その学問の中心は英学つまりイギリスの学問であった。反政府的な言論はすべて英学より生ずると見ていた政府が衝撃を受けたであろうことは容易に想像される。おそらくそうした関係者らによるものであろうが、設立当初の同校 にさまざまな妨害が加えられたと伝えられている。翌明治16年1月、参議山縣有朋は「変則独逸学校ヲ設クルノ議」を建議した。 これも井上毅の起草したものといわれているが、ここにはかなり露骨に英学廃止が述べられており、また東京専門学校のことが章識されている。建議書の内容は次のようである。 現今わが国の大学では,「 政事法律学ハ概ネ英書 」 をもって授業が行われている、そのため学士や学生がその学問を全国至るところで伝達す るから,「英国 ノ治風ヲ称賛シ、又之ヲ欽慕」する者が急速に増大してゆく。わが国の国体 国風は「英二微フヘカラスシテ、寧ロ独乙二取ルヘキ」であるから、「政府ノ針路ト教育ノ方向トー左一右、正二相背馳」している英学の隆盛をそのまま放置しておくことは、「教育ヲ以テ内乱ヲ養生ス」るものといわなければならない。現今の反政府的政論は「従来ノ教育 ヨリ生」じたもの、つまり英学教育から生じたものであるから、これを一変させるためには、教育を一変させる以外に策はない。 したがってその最良の策は,「大中学二用ユル英学ヲ廃 シ、独逸学ヲ用フル事」であるが、しかし学制を一変するのは手続き等も困難で、一朝一夕にできることではない、だがことは極めて急を要する、そこで,「特別臨時ノ学校ヲ設クル ノー事アルノミ」であるとして、「変則独逸学ヲ以テ専門政治学校ヲ開キ生徒ヲ教育スル事」 を具体案として提案しているのである。同建議書には別紙「独逸学校設立ノ大則が付され ており、目的・課程・経費・生徒募集等が13項目にわたって記されているが、そのひ とつに 「校主ハ華族又ハ独逸学協ノ名ヲ以テスルコト」とある。 同年10月22日奇しくも英学を主とする東京専門学校が創設されて1年後に当たるが「独逸国中学ノ制二模倣シた独逸学協会学校(初代校長西周)(現獨協学園)が開校した。同校は一私立学校であるにもかかわらず、開校以 来宮中、文部省、司法省、内閣機密費より数年間にわたって多額の御下賜金、助成金を受けているといい、また慶慮義塾や東京専門学校が寮経費に苦慮している一方での特別の配慮といい、同校は紛れもなく山縣 ・井上の建議を機に設立された政府系の学校であった。

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