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“デジタル”を活用したインターネットを通すことで、数百万人の声を聞くことができるうえ、その人々がお互いの声を聞くことも可能。その構造が民主主義を深めることに繋がります。オードリー•タン

このオードリー・タンさんの言葉を聞いた時、思い出すのは東 浩紀さんの言葉だ。

そもそも現代社会では熟議の理想は成立しない。ハーバーマス的な公共圏の理想は端から成立不可能なのだから、いまの社会状況や技術的条件を前提として「公共圏らしきもの」をどうのように成立させるか、その場(アーキテクチャ)の設計について語るしかないのである。東 浩紀

そして松井はこう述べた。

SNS上では、社会や政治、法等について様々な意見が飛び交うが、そのような我々を取り巻く各制度については、現状の内で制度運用方法について考えるだけでなく、ダイナミックにその体自体を変えることもできるんだということを忘れたくない。既に運用されている枠の中に立って、それらの改善を考えるのはとても難しいので、枠の外に立って、創造的に各制度(法)のリニューアルを試みていきたいと思う。

さらに松井は大阪の住民投票についてこう言う。

住民投票の焦点は住民サービス?
違うよねえ。
焦点がこう位置づいちゃったか。
あらら。
住民サービスメニューの在り方、財源確保なんて“あとでどうとでもします、なります“で終わっちゃう。
議論すべき本質は市民参画の形。
住民サービスを“どうとでもする”のは行政じゃなくて市民。
投票の判断根拠とするべきは、市民参画(手法)のデザインが仕組としてどうなっているのか、そして事業や財政への市民による影響力がどの程度あるのかにかかっているんじゃないか。
お客様としての扱いじゃなくて、ストックホルダーとして、そしてガバナンスの一員として市民をどう扱うのか。
東京23区って、その辺はどうなっているんだろう。
区民と区、都との関係性は。
その部分のデザインが不十分だとすると、やっぱり特別区は民主主義の学校たる”自治体“とは言えないよなあ。

ずっと行政CRMのことを考えてきた松井にとって、これらの言葉が、SNSと絡みながらイメージとして徐々に頭の中で顕在化して、新たな可能性を紡ぎだす期待感を呼び起こす。

群衆とは知恵でなく、かえって凡庸を積み重ねたものである。-ルボン

自分の手の中に可能性が十分あるのに、行動がこんなに非合理じゃ、民主主義に不信を抱かざるを得ないでしょ?
涙が出てくる。
これから先、我々の理性はどう展開するの?
それとも展開しないの?

DXに期待することは、行政手続の効率化や利便性の向上だけじゃないでしょ?

そして、市民が平等であることと、適切な行政経費の確保を慮ることにより、行政サービスの個々への具体的妥当性が欠如してしまうってのが今の行政だとすると、やっぱり個々において利益をしっかりと形成しようとする主体なり手法なりを・・・、また別に考えなくちゃいけない。

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