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教養、そして総合振興計画

”教養”っていったい何だろう?っていうわけで、
獨協大学国際教養学部の松丸壽雄先生はこんなことを言っていた。(で、ちなみに獨協学園はドイツ教養主義を学園の校是としている。)

「”教養”とは何かと言うと、今現在客観的に実現されていないもの、
つまり”理想”を目的としてカルティベイト(耕作)すること。それが教養に他ならない。」と言う。

「一人ひとりの人間を超えた世界がある。それがイデアとか道理というもの。」

「それが我々の内に働きかけるんだ。イデアを実現させるようにと。」

「その働きかけに呼応して、我々がそれを受け止めて、自分が主たる者となって行動をしていく。」

「そのイデアと我々の相互作用。その相互作用が作り出されてくる・・・。」

「そうなった状態を”教養”と呼びましょうというわけだ。」

「我々は知識・理知をもってイデアを得て、それを意思、意欲を働かせて受容する。そしてそれを実現する。」

「イデアが自分を形成し、それをもって自分が自分になるということ。」

「そして”教養”により実現するものが”文化”だ。」

なるほどなあって思った。

さいたま市の総合振興計画の3層の内、最上位の基本構想。
その中身は、都市づくりの基本理念と将来都市像、この辺はイデア的な位置づけが狙われているのだろう。

その、最上位にあるイデアを得て、我々は意思、意欲を働かせながら、その実現をせんとして、下位の計画である基本計画と実施計画をアクションプランとして作るということなんだろう。

イデア(基本理念や将来都市像)がしっかりとあるからこそ、我々はそれに突き動かされるように、その実現を図ろうとするんだ。

これはまさに・・・、総合振興計画は”教養”そのものだ。
それで総合振興計画を担当する者には品性が漂う分けか・・・???

で、最近はマニフェストが全盛で、総合振興計画とマニフェストを合わせて、市長任期の4年単位で”総合計画”として統一的に策定した方がよいのではないかなんて意見も聞かれる。

計画期間も中長期の計画なんて先が見通せないだろうなんてことも言われる。
計画期間は4年で十分だろうなんて言われる。

でも、さっき記したように、我々はイデアを見ながら、イデアとの相互作用によって、その実現を図ろうとする者なんだとしたら、それは、やっぱり、都市づくりの基本理念なり将来都市像(将来の予測じゃなくて)をしっかりと位置づけた方が良いだろう。
計画期間が4年程度ではイデアを扱うにしては短すぎる。

4年先なんて”今現在”の延長でしかないだろう。
それじゃ扱う対象が現象でしかない。
それはアクションプランに過ぎない。

それに、イデアを上位に仰がないアクションプランなんてあってはいけない。
と言うよりも、イデアを掲げないアクションプランは進まない。
進めようとする人間に実現をしようとする意志が働かないからだ。

アメリカの自治体にはアクションプランはあっても総合振興計画のようなものは無いと言う人もいるが、そういう人は、アメリカには、ある意味イデアたる聖書があることを忘れている。
このような、いわばドイツ教養主義の考え方に基づいて、または影響されて、おそらく行政計画の在り方、基本構想の策定を義務づけていた自治法の条項も存在したのだろう。

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