衣料品製造業を始めてから思い続けていること

両親は軽衣料の量産工場を経営していた。父ちゃん母ちゃん株式会社という個人経営のような会社であった。小さいころからミシンの音を聞いて育っていた。小学生のころには工業用ミシンで雑巾を自分で縫っていた。パートさんから「上手だね」と言われて調子に乗って何枚も雑巾を縫い、小遣いをもらうためにシャツ穴を開ける手伝いをして、何枚開けても50円~100円もらって駄菓子屋に走って行ってたのを思い出す。毎日4時の休憩にはパートさんたちにお菓子やアイスクリームを配って休憩する。工場で遊ぶのが普通の環境だった・・・

大学では夜学にしか行けなかったので家業を手伝っていた。工場よりアパレルに憧れを持っていた母親が始めたブティック兼アパレルで大失敗をしていた。内向的な父親を営業職にと尻を叩いて売り上げを伸ばそうとしていたが、性格的に無理があった。また、アパレルを知らない人間が見よう見まねで出来るような簡単なものではなく、雇い入れた従業員も上手く使いこなせず結局は工場へ戻らざるを得なかった状況になった。家と工場を売って新しく建てた工場兼住居で再出発した下請け工場では、出来るだけコストを抑えないとならない、そんな状況も相まってアルバイトに行かず家業を手伝っていた。小学生のころと同じで、何日働いても5万~6万円の小遣いであったのを思い出す。学費も交通費も出してもらっていたので納得していた。

そんな中、ある取引先へ集金に行ったとき、30分以上待たされて”小切手”を投げられた・・・「お金を投げるって何⁉」と怒りが込み上げてきた・・・時間に追われ、品質に気を使い、納品したにもかかわらず、「ご苦労さん」の一言もなく対応する業界に嫌気がさし、「もう縫製工場など継ぐものか」と心に決めた瞬間であった。

大学卒業後はコンピュータのソフトウェア会社へ無事に就職したものの結局は繊維製造業に戻っている自分が居る。

ファッション産業という華やかな業界に見えるが、労働集約型である繊維産業はアパレルも縫製業も昔から何も変わっていない・・・でも変えなければとの思いがある。

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