和をつなぐ
お茶屋の娘に生まれて
私は、東京のとある日本茶問屋の商店の娘として生まれました。
地元の幼稚園に通い、小中学校も地元の学校を卒業。
地域の方々が、よくお店にご来店してくださり、お茶を飲みながらお話ししたり、お茶を買って帰ってくださったりしていました。
店にいるとお客さんに
「お店お手伝いしてるの?えらいね〜」
なんて声をかけたりしてもらって、子どもながらに鼻高々だったことを覚えています。
新茶の時期は大忙しで、小学生くらいから毎年ゴールデンウィークはお茶詰めの手伝いをしていました。
店頭も賑わって、地域の方々が集まって寄ってくれてお茶を飲んだりしていました。
私はそんなお店が賑わう新茶の時期が大好きでした。
八十八夜のあるゴールデンウィークは毎年忙しくて家族旅行などお出かけはなかったですが、従業員さんと、そして地域の方々で賑わうお店の雰囲気が毎年楽しくて仕方なかったのです。
新茶を買いに来てくれた地域の方に、お茶を淹れて
「今年も美味しい」
と言っていただけることが何より嬉しかったです。
祖母の姿
祖母は町会の婦人部に所属していて、いつも地域のお祭りの主催や運営を行っていました。
お祭りは地域の方々が主催で行い、神社のお神輿を友達と一緒に担いだりします。
私も友達も、このお祭りを毎年楽しみにして参加していました。
祖母と母はお祭りの運営のお手伝いをして、フランクフルトの係や焼き鳥の係などをします。
屋台に取りに行くと、祖母や母がいるのも何だか誇らしかったのを覚えています。
地元に、地域の工事や修繕をしてくれて、困りごとにすぐ駆けつけてくれる建設会社がありました。
そこの親方が、焼き鳥焼いて、毎年イベントのトリである抽選会の場を盛り上げてくれていました。
子供の私も友達も、この日は抽選会を待って夜遅くまで遊べるのが楽しみでした。
子どもながらに、そのお兄さんが面白くて、遅くまでお祭りに参加してしまいました。
15年後
私はお茶屋のお店で働きはじめ、地域の行事に参加するようになりました。
お祭りも参加する側から運営を手伝う側に。
小さな子たちがお祭りではしゃいでいる姿を見ると、懐かしいような微笑ましいような、そんた温かな気持ちになります。
こうやって地域の大人の方々は、お祭りを子どもたちや地域の皆んなのために盛り上げてくれていたんだなと感じました。
子供の頃はただ楽しいと言う気持ちだけだったけれど、色んな方の支えの中で、私は地域に育ててもらっていたんだなと実感しました。
当たり前じゃなかった
父が病いで入院し、母親が付き添う時も、お隣さんが小さな私の面倒を見てくれてたり、お店の従業員さんが遊び相手をしてくれたりしていました。
お祭りだけに限らず、地域の方々は色んな場面で私たち家族を助けてくれていました。
そんな地域の繋がりを私は当たり前だと思っていました。
でも、それは当たり前ではなかったです。
気付くのが遅すぎて恥ずかしいですが、その有り難みを、今年引っ越してみて痛感しました。
あれって特別だったんだな、と。
引っ越しした先では、地域の親方のようにちょっとした修理や困りごとにすぐ駆けつけて助けてくれる人はいません。
お祭りだって全く知らない人ばかりで、アウェイな感覚を受けてしまうでしょう。
「何か困ったことあったらいつでも言ってね」なんて優しい言葉をかけてくれる人だっていません。
地元を離れてみて分かったことがたくさんありました。
目に見えない温かで安心感に満ちた地域のつながりは、そう簡単に手に入るものではないのだと思いました。
今は、ここまで支えてくれていた、地元の方々、お店の従業員さん方、そして家族に大きな感謝を感じています。
いつか、その受け取ってきたものをどんな形でか、世の中に返していける生き方をしたいなんて思っています。
今いる場所は、それはそれで良いなと思うけれど、いつの日か、人の温かな和を創造できる人になりたいです。
お茶の心は「和」の心。
みんながお茶を飲めばその場が和み、人の和ができます。
これからも、足元にある色んなご縁を大切にしたいです。
お世話になった地域の方々がそうしていたように、私も近くにいる方、ひとりひとりを大切に思う気持ちを持って接していけば、この場所でも、あの温かな繋がりは創られていくと信じています。
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