テュルクか、チュルクか
最初の記事を書いてみて、そのまま放置しておくのが個人的に気持ち悪かったので、ここで断っておこうと思います。なぜ私が「テュルク」という語を使うのかを。
私の興味のある「テュルク」というのは、トルコ語、トルクメン語、ウズベク語、カザフ語、ウイグル語、トゥバ語、サハ語等の親戚関係にある言語を話す人々やその人々の住む国や地域なのですが、これらを日本語で「テュルク」、「チュルク」、「トルコ系」、はたまた、少し前の文献などでは広義「トルコ」と呼ばれたりします。
「統一しろよ!」と思いますが、分野を超えていて、統一されることは今後もないように思いますので、我々が妥協するしかありません。
まず、「トルコ」というのはさすがにトルコ共和国を指す言葉として定着して来ていますので、今は使う人はいなくなりました。Türkの訳がトルコだったのですから、別に一つの語が広義と狭義の意味を持っていても良い気はしますが、より分かりやすくという意味で避けられているのでしょう。
「トルコ系」というのは問題ない気もしますが、このネーミングだとトルコありきで他の民族がその仲間だという印象を与えてしまいます。そのため、私はできるだけ使用を避けています。経済規模、人口共にテュルク世界ではトルコが最も大きく、世界でも知られているかもしれませんが、他の民族を牽引していたり、中心にいるというわけではありません。
さて、ここからが本題。「テュルク」か「チュルク」か。
「チュルク」というのは、言語学の世界で用いられます。チュルク諸語やチュルク語と言えば、業界の人は分かりますし、私も普段はこちらを使っています。しかし、この「チュルク」という言い方が、トルコ語のçürük(チュルック)「腐った」に似ているため、使いたくない人がいるという話を聞いたことがあります。
突然ですが、ここで問題です。世界史で習ったトルコ建国の父、ケマル・パシャ(ムスタファ・ケマル)の別名は何でしょう。答えは(ケマル・)アタテュルクです。AtatürkというのはAta(父)とtürk(トルコ人)からなる語で、「トルコ人の父」という意味です。(ここではトルコの話ですので、türkはトルコ人を指しています。ataは現代トルコ語では主に「祖先」を指しますが、最近までは「父」を指すこともありました。)
ということで、歴史では「テュルク」という言葉が使われるんですね。社会学やその他の分野でも同様なようです。基本的に歴史学では、元の発音にできるだけ近づけてカタカナで表記しようと努力する慣例があるようで(間違ってたらすみません)、İstanbulの「イスタンブール」or「イスタンブル」問題などがあります(ザビエルかシャビエルかみたいなのもおそらく同じ理由です)。
でも、「テュルク」ってtyurukuであって、türkではないんですよね。「チュルク」のchurukuよりはtが出てきてるから近いだろって?まぁそうかもしれませんが、違うものは違うのです。私たちは他の言語の書き方で他の言語の音を表すことが出来ないことが初めからわかっていますので、無頓着なんですね。どっちでもいいやんって。じゃあ偉い人が使っていたやつに統一しましょうということになります。ここでどうにも気持ち悪いのが、言語学の人も「テュルク」を使えば統一されてよいのですが、長年の慣例というのはなくならず、いまだにチュルクが使われています(ザビエルと習った私たちが明日からシャビエルと呼べよと言われて気持ち悪いように)。
私がnoteで「チュルク」ではなく「テュルク」を使うことに決めた理由は、先ほどの「アタテュルク」のように読者の皆さんの圧倒的多数が「テュルク」の方にになじみがあると思ったからです。今、同胞たちと準備中の「テュルク友の会」とのすり合わせというのもありますが。ただ、「テュルク」を用いることに慣れていないため、書いていてまだ「気持ちわるぅ」というという感じになったので、まずはいろんな記事を書く前に宣言しようと思った次第です。私は「テュルク」を使うのだと。