10年前の3月11日に私は何をしていたか
2011年の3月11日、私は大学4年生でした。卒業を控えた私は、友人と卒業旅行に出ており、地震が起こったときにはちょうどトルコのデニズリ(Denizli)というエーゲ海地方の街に住む友人を訪れていました。
地震が起こったのはトルコでは深夜だったでしょうか、私たちは寝ており、朝一番に友人の親戚からの電話で知ることになります。「日本は大丈夫か。」と言われても、私たちもトルコにいたので、何の情報もありません。まだテレビを見る前だったので、「日本は地震に強い国だから大丈夫。」とかなんとか軽口をたたいたのを覚えています。
早速テレビをつけると東北地方の町が津波に飲まれていました。誤解を生むことを恐れずに正直に言うと、第一に思ったのは「九州じゃなくてよかった。」でした。もちろん東北地方はどうなってもいいという気持ちではありません。九州には実家があり、家族や親せきが住んでいるためです。すぐに実家に電話をしようとしましたが、電話がかかりません。理由は分かりませんが、地震による混乱があったのかもしれません。何度もトライしましたがその日は電話は繋がりませんでした。
翌日、電話は繋がって、少し日本の情報を聞きましたが、旅行自体には支障はなかったので、予定通り続けました。その間にも、トルコの報道で、津波で建物の上に押し上げられた車や原発事故のニュースを見ました。トルコの友人や彼の家族は心配してくれて、いつまででも泊っていいからと言ってしばらくトルコに滞在することを勧めてくれました。SNSを通じても、世界中の友人から心配するメッセージを貰いました。
トルコから見ると日本は、地震や台風など、天災の多い危険な国だという印象があるということをこの時初めて知りました。日本に帰らないことが何の解決になるわけでもありませんでしたが、皆のやさしさが素直に嬉しかったです。
帰国後は大学院への進学のために東京に引っ越したのですが、大きな余震が何度もありました。水などの物資が不足している期間もありました。その時に初めて震災を実感しました。
私は、旅行に出ていなくとも今回の地震の被災地には縁がなく、被害を受けることはありませんでした。復興や復旧のためにボランティアに出かけるような行動力もありません。私と同じような条件の人も多くいると思います。この10年という年を節目に、テレビでたくさんのドキュメンタリー番組をやっていて、今私に何かできることはあるかと考えてしまいました。
天災による被害はどこの誰にでも起こりうることです。私たちは東日本大震災の経験を忘れず、経験から学ばせてもらい、将来へ命をつないでいく必要があります。正しい知識を持って被災地への偏見を捨て、直接的にでも間接的にでも被災地、被災者の方々に支援することができればよいと思います。最後になりましたが、震災・津波の被害で亡くなった方のご冥福、被害にあわれた方へのご多幸を祈念いたします。