まさに秘境、Google Mapに乗らない被災地への過酷な旅路【行き/海路編】
フィリピンで台風22号の被災地支援をおこなっているメイソン(@mason_tsubaki)といいます。
支援金募集の詳細はこちらの記事でご確認ください。
さて、Google Mapにのらない僻地へどのような交通手段でいけるのか?
物資の供給がどれほど難しい地域かをお伝えします。
フィリピン最北地、サンタ・アナへ
まずは、リナワン村行きのボートが出航する町、サンタ・アナへ。ここで1泊し、翌朝に出港するであろう(天候しだい)ボートを待ちます。
サン・ホセから、乗り合いバンをアルカラで乗りつぎ計4時間。
乗りかえもスムーズにいき、目的のホテル 、Country Innに到着。
このホテルはバッガオの前副市長、Audreyさんが経営していて、サン・ホセ、パラワン、サンタ・アナ、カンボジアとフィリピン国内外に4店舗をかまえています。
Audreyさんには、被災地支援について様々なご助言、ご協力いただいております。今回は、ありがたいことに無償で宿泊させてもらいました。\(^o^)/
「少しでも還元を・・・」と思い、たくさんビールを注文したのは内緒です。
ボートで7時間。いざ、リナワン村へ
午前6時15分
天候は良好、海のコンディションも良いとのことで、少量の救援物資をつめこみ、小さなバンカー・ボートでリナワン村を目指します。
※午前3時半ホテル出発予定でしたが、リナワン村から迎えに来る船が港に到着したのが午前5時過ぎ。フィリピン人は待つことに寛容すぎる。
変えられない姿勢と変わらない景色
さて、この船旅で一番つらかったのは、『姿勢を変えられないこと、景色が変わらないこと』でした。
物資(黒いシートの部分)がボートの1/3を占領しているため乗組員4人+客4名が今回の定員。
1. 変えられない姿勢
幅30cmもない木材の上に腰かけ、足をくの字に曲げた状態でサンタ・アナを出港しました。
これまでに、首都マニラ⇄カガヤンをバスで片道12時間かけ3往復しましたが、この12時間はけっして苦ではないのです。
バスは揺れるけど、ギリギリ本も読めるし、ネットもつながる。そして、何より足を伸ばして寝れます。
マニラからカガヤン州の首都トゥゲガラオまでを移動するVitory Liner社のFirst Class。一列に3席のみでリクライニング・シート、フット・レスト、軽食付き。960PHP(約2,016円)。
しかし、この船旅は大きく違いました。
膝をくの字に曲げ、二本の足でしっかりと舟板を踏みしめる姿勢を余儀なくされました。
11月から3月までの期間、この海域はとにかく荒れます。何度も寝ようと試みましたが、上下左右にたえず揺れるボート。
ガタンッ!!
目を閉じ、うとうとしていると、船の大きな揺れで30cm先の海に落ちそうになります。
ヴィクトリー・フランクルの『夜と霧』で、アウシュビッツ収容所に強制収容された筆者たちが、いつ終わるかもわからない、2メートル×2.5メートルのスペースに9人が横になり寝むる状況を想像しながら、『フランクルより数百倍マシだ。』と自分に言い聞かせる船旅となりました。
2. 変わらない景色
『綺麗だなー(小並感)』
そんな観光気分はものの30分で飽きます。船上は、エンジン音がうるさいので会話もできません。
できることと言えば、こくこく変わる日差しにあわせて、日焼けしないようにタオルの位置を変えることと、自分にだけにしか聞こえないカラオケを大声で歌うことくらいです。
いくつもの湾岸を超え、数キロ先に見える、あの湾を越えれば次こそは「リナワン村だろ」と、勝手に期待するも、あては外れるを繰り返しました。
道中、大海原でエンストすること2回、「あれ、これちょっとあかんやつ?」をくり返し、、、
ようやくして到着したのが、Google Mapにのらない過疎地、リナワン村(Citio Linawan)です。
自然豊かな沿岸地帯、リナワン村に到着
到着時には、たくさんの村人が迎えにきてくれ、ボートを岸へ近づけ、物資を運ぶ手伝いをしてくれました。
被災地調査、活動報告は別記事にまとめましたので、『移動の大変さ』に焦点をしぼってこの記事を進めていきます。
猛暑の海岸線。リナワン村から、カワヤン地区へ
午前7時
リナワン村中心部での活動を終え、村の外れにあるカワヤン地区へ向かいました。
午前3時おきの謎スケジュールは、見送ってくれた子どもたちの愛らしさに免じて、なかったことにします。
まずは、海岸線を2km、太陽が照りつける中を歩きました。
日本の紫外線指数4に対し、フィリピンは9(非常に強い)。
日中はできるだけ外出を控え、必ず長袖Tシャツ、帽子、日焼け止めクリームを使用。とのこと
サンダルの隙間に入ってくる砂利は熱く、一歩足をふみだすごとに、サンダルは砂に浅く沈む。これをくり返しました。
途中で、僕の先を歩くKuya(フィリピンで年上の男性を指す)の轍をふめば、足が砂に埋れることを少し防げると気づき、轍をひたらすらなぞり、運河に到着。
運河でカワヤン地区へ
運河に到着すると、またまた小型ボートにのってカワヤン地区を目指します。
リナワン村の村長もこの地区に住んでおり、リナワン村42世帯の中の4世帯がこの運河沿いに住んでいます。
村民が住むカワヤンへの船着き場(?)
カワヤンの一区画に住む3世帯。
リナワン村の村長ロヘルヨさんと奥さん。
カワヤン地区での調査を終えたあとは、日が沈む前に2つ目の支援先タブガン村へ移動します。
2つ目の支援先、タブガン村へ運河+山道を移動
カワヤン地区からボートで約2時間。
タブガン村へ続く陸地にむかいました。
道中、何度も目にした土砂崩れによりはげた山肌は、9月15日に上陸した台風22号の影響。
タブガン村へ続く山道に到着
タブガン村へ続く山道の入り口に到着。
Google Map上では運河は手前で切れていますが、実際には地図から約2キロ先まで運河は続いてました。
足が埋もれる沼地。
サンダルを手に持ちかえて、素足で歩きます。
素足で山を歩きなれている彼らはスイスイ進みます。いっぽう、僕はトゲが刺さったり、小石を踏みつけるたび、止まっては進み、止まっては進みをくり返していました。苦笑
山間の集落、タブガン村に到着
タブガン村では、村長マルセロさんの↑お宅↑に滞在させてもらいました。
到着時には、体中泥だらけで村民が使う公共のシャワーで体と衣類を洗いました。
夜間は満点の星空が見える、シャワールーム。
井戸水をバケツにためて、シャワーを浴びます。
まとめ
メモ
・例年、11月〜3月までは海が荒れているため、運休していることが多い
・移動手段は小型ボートのため、積載量に限りがある(2トン前後!?)
・ボートの移動中は退屈だが、死ぬほどきついわけではない
・カワヤン→タブガンへの山道は地元民であれば、物資の運搬は難しくない
海路のネックは、天候にすべてを左右される点です。
9月15日の台風22号上陸から、サンタ・アナ⇔リナワン間で船が出港した回数は10回も満たないそうです。
次回は地獄の陸路編をお届けします。
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