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【エッセイ】紙魚はどこかに行ってしまった

高速バス、地元から都会まで3時間。

転職が決まらずもう4ヶ月目に入ってしまった。『転職 期間 どのくらい』検索エンジンの出した答えは約2~3ヶ月だという。

その3ヶ月を超えてしまうと、もはや焦りすら抱かなくなった。転職エージェントが自身を気遣うメールがメールボックスに溜まっている。ビジネスの中の思いやりだけが私の先を越して走っていくように感じられ、ただただメールも放置している。

大学で4年間学び順調に資格も取得し就職した。つっかかりのない人生であったがここで初めて盛大に転んでしまった。

大学生活は充実していた。ただその中に生まれた一つの違和感、居残り勉強して最大限の努力をして成績は中の中。効率的な勉強法ではないもののそれでも努力したつもりである。

努力に見合っていない結果。自身の学んでいる分野が自身の適正と合っていないためと気づいたのは就職した後だった。

高校生の頃から志望し、数々の試験勉強もくぐり抜け、4年間熟成させた知識は実践という壁を乗り越えられなかったのだ。

タイムスリップして高校生の頃の自分にちゃんと適正を探せと言うのも無理な話である。今更このいつ終わるかわからない転職期間に自分探しをしている。

未経験職種で探し、かつ現職の経験が1年と言うとなかなか見つからない。そうこうするうちに4ヶ月目。

休職すると自分自身と向き合う時間が増え、必然的に過去の失敗や理不尽な出来事を思い出すようになった。そうして1〜2ヶ月は無理矢理そういった苦痛の時間を抱かないための転職活動をしていた。この期間の面接は面接官がみな病人を見る目をしていた。病人が面接を受けているので当たり前である。

3ヶ月目はここで決めなければというプレッシャーとこのまま一度無職になってしまおうかという迷いが交錯した月だった。変化といえば図書館に行くようになった。本を読んでいる間は他人の人生を覗くような心地で、自罰的な空想からは逃れることができた。

そうして転職エージェントからここで決めましょう!と言われた条件の良い企業に最終面接で落ちた。その瞬間私の心は紙魚になった。紙魚になった私の心は社会活動を放棄し本を食らい続けている。

心が紙魚になってどこかに行ってからだいぶ体は楽になった。心がない分軽くなった余白に筋肉でも入れようかと、どこかの漫画で見た腹筋100回、腕立て伏せ100回、スクワット100回、ランニングだけ5キロに減少させたメニューを始めた。

時折、紙魚になった心が戻ってくる。しかしひょいと顔を出すとまたどこかに飛んでいく、ありったけの不安を抱えてどこかに消える。紙魚を探すわけでもなく、ランニングに出向いた体は昼間の日差しを浴びビタミンを作り続けている。

転職活動は遠い都会で行なっている。大学時代に楽しむ心というものをそこにそのまま置いてきてしまった気がするから。何かを取り戻すような転職活動。

対面面接で都会に出向く時は高速バスを使う。高速バス往復で6000円。隣の県はハイテクな特急を使うと片道1000円ほどで都会に着くのだからこの差はなんだといつも自身の地元を恨んでいる。

高速バスに乗っている時は心が穏やかに過ごせる。流れゆく景色を見たり読書をして過ごす。往復で6時間なので小説1冊は必ず読める。紙魚もその頃には戻ってきて文庫の上に並んだ文章をちまちまと食べていく。

心と体はやっと一体となるが、バスを降りると紙魚はまたどこかに去っていく。紙魚が観光をして、体は面接の支度をする。

面接が終わると紙魚と合流し一緒に観光を楽しむ。この魔都が魅力的すぎて最近は地元が苦手になってきた。地元で受けたパワハラセクハラ理不尽を交互に思い出すと嫌になっちゃう、と紙魚は言う。私はウンウンとうなづく。

地元で好きなものもある。虫と魚、あと友人。それ以外は良いかな、と紙魚は言った。家族とか実家は?と聞ける雰囲気でもないので私はウンウンうなづいた。

忘れてた、漫画喫茶と釣り堀と友人の家の猫も好きだ。紙魚はそれで言い終わった。私は赤べこのように首を揺らし続ける。

紙魚はときおり帰ってくる。でもときおりいなくなる。最近やっとそれで良いんだなと気づいた。どこか遠くに行けば良い、そのままこの体さえもそっちに連れて行ってくれと今日も私は本を読む。

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