さよなら、おねえさま
※この記事は「Yaeshita Mie🌐」様主催の企画、「カニ人アドカレ2023」参加に伴い2023/12/23投稿用に作成した二次創作小説です。
12月22日の記事はこちら!
12月24日の記事はこちら!
この記事が気になったらほかの参加者さんの記事も見てみたり、自分が参加してみたりすると楽しいかもしれません!
こちらの記事はイクトミ様が主人公のカニ人ワールド二次創作小説となっております。
注意
・この話はヘンタイニンゲンによるモウソウです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
・カニ人二次創作をするにあたり、登場人物たちの性格、口調を自主解釈で書いています。いろいろと捏造注意です。
それでは、本編をお楽しみください。
1.プロローグ
義姉とそっくりの子どもをこの目で見たの。
お母さまとお父さまの作った闘技場、泡越しの光景がわたくしの世界だった。戦いを手と鼻の先に見せたいという設計の元作られたわたくしの部屋、もうずいぶん血なまぐさい闘いは見飽きました。
でも久しぶりに驚いたの、わたくしの義姉にそっくりな子どもを見たの。
義姉は特殊な生まれで人間たちに虐げられていた中で母に拾われた。わたくしが生まれた時にはもうおねえさまでした。わたくしと全く違う、おねえさま。愛されないで育った、おねえさま。お母さまがどんなに手を尽くして愛を与えようが彼女は正しく愛を受け取れていない様子でした。わたくしの記憶にあるのは、お母さまの言葉に、少し申し訳なさそうに静かに笑う、おねえさま。そんなおねえさまがどうしたものか、誰を愛して自分そっくりな子どもを作ったのか。
わたくしはおねえさまを何も知らなかったのだと思い知らされて、おねえさまを知りたくなったの。
2.四つ足の蜘蛛
アマゾン川のほとり、異形の子どもが駆け巡る。
生い茂る草木の中を硬い殻で覆われた足が走る、走る。時には手の先のハサミで分厚い葉を切り落とし、時には倒れた倒木をひょいと飛び越えて。
頭から伸びる大きな口、黒曜石のようにぎらぎらと光る歯。それは大木に噛み付くと自身の身体をひょいと持ち上げ木々の隙間を飛んでいく。
しかし、ふと、その年頃の人間の子どものように、体に対してはるかに大きな頭を支えきれず、足を滑らした。体は枝を折りながら空中を真っ逆さまに落ちていく。
「落ちたぞ!追え!」
人間たちの声はもう近い。森を抜け、水の中にさえ潜ればもうそこは彼女のテリトリー、泥にまみれながらもどうにか起き上がり、彼女の身長より大きな葉のカーテンを抜けた先を目指し一目散に駆け抜ける。
「わっ!」
とたんに彼女の視線は網目模様になった。
「よし!捕まえたぞ!」
待ち伏せていた人間が彼女を網で包みきつく縛る。
急いで自慢のハサミを用いて網を切ろうとしたがなぜか切れない、それもそのはず、この網は人魚の髪で編まれたものだった。この網は密猟者たちの知恵で作られたものだ。人魚を捕まえるには並の道具では太刀打ちできず、素材はやはり人魚のものを使うしかない。
網の中でもがく生き物を大男がひょいと持ち上げる。少女の涙の溜まった大きな瞳に大男のにやけ顔が映る。
「こいつぁ上玉だァ、売っても金になる、戦わせて見せ物にしても良い、変態どもに服を剥いだ姿を見せて金を集めても良い」
男たちは気づかない、自身に忍び寄る放射状の影に。
「かわいそうに」
その存在に気づいたが矢先、男たちの目は空を見る。
捕まった少女が見たものは網目模様の奥、男たちを摘む瑠璃色の爪、その手ははるかに大きく、腕はいくつもの関節が曲がり、自分と同じくらいの少女の背中から伸びている。まるで蜘蛛のような4つの腕は、金のブレスレットをジャラリと鳴らしながら大柄な男たちをつまみ上げている。
「わかってないのねぇ、何もかも」
蜘蛛少女は男たちを空中に放り投げる。男たちが空を舞うその束の間に、彼女の手は組まれ、その指の隙間から虹色の膜が現れた。指の奥の景色は虹色に歪んでいる。投げられた男たちは空の到達点に達した後、徐々に自由落下を始めていた。
蜘蛛少女はかすかに微笑むと、組まれた手を大きく広げ、虹の膜をぶわりと横に広げる。膜は大きく広げられ、ものすごい速度で落下した男たちを包み上げた。落下の衝撃など感じさせないかのように大男たちが膜の上で跳ねている。跳ねた男たちを横縞模様の腕が包み込み、それはそれは大きなシャボン玉ができた。それはふわふわと地面をバウンドした後、その上にストンと梅紫色のスカートが乗る。
「何をご覧になっているの」
その光景に見惚れて今の状況を忘れていた少女は、網の中でもがきつつ焦った。
「えっ、えっ!あっ、たすけてくれてありがとうございます……!」
返答にならない返事をした少女を藤色の目が見つめている。
「アナタ、逃げなくてもよかったでしょう?後ろの口で八つ裂きにでもできたはず」
彼女は藤色のスカートの中から尖った爪をのぞかせる。濃い紫色の足先がとってもおしゃれで、カッコいい、網をやっと取り払った少女は素直にそう考えていた。
「でも、でも……やつざきなんてかわいそう」
「アナタを売り払おうとした人たちなのに?」
「でも……」
少女は網をハサミで弄りつつ、ぶつぶつとしゃべり始めた。
「まえとーちゃんが遊んでくれて、とーちゃんの手をひっぱったら……とーちゃんは手が取れても生えてくるけどふつうは生えてこないから気をつけるカニよって、とーちゃんが……」
ハサミを擦りながら喋る子どもをよそに、蜘蛛少女は人間たちを包む巨大なシャボン玉をアマゾン川の中に放り投げた。
「あっ!」
「別によろしくなくて?どこかで陸地に引っ掛かるでしょう」
「やっ、ダメです!」
人間たちを助けに行こうとする少女の視界は突然高くなる。足は宙ぶらりんでまるで空を飛んでいるかのよう。
蜘蛛の手が自分を掴んだのだととっさに理解するも、ブラブラと揺れる足元になすすべはない。アマゾン奥地に流されていく泡玉と人間たち。
「はなして!はなして!」
「あぁ、かわいそう、人間を傷つけない力加減もわからない、私から逃げるほどの力は出せない、中途半端な子!」
ケタケタといじわるな笑いをする蜘蛛は、流されていく人間たちの姿を少女に見せつける。川の奥底には巨大な滝。
「あのひとたち死んじゃう!おねがい!おねがい!」
「ところでアナタなんてお名前かしら?」
決死の叫びも虚しく四つ足の蜘蛛は何ともないように名前を聞いてきた。
「サンギスキーニャ!お名前言ったからはなして!」
「さんぎすきー、何?アナタのご両親はずいぶんと長い名前をつけるのねぇ」
そう問答が続くうちに巨大な泡玉は人間たちを閉じ込めたまま真っ逆様に滝の下に落ちていった。いかつい顔を歪ませ中で泣きそうな顔をしていた男たちも視界から消え、サーッとサンギスキーニャの顔から血の気が引く。
「あらあら落っこちちゃった」
サンギスキーニャをふらふらと揺らしながら蜘蛛の手は器用に地面を掴み歩き、滝の向こう側をサンギスキーニャに覗かせた。
泡玉は滝の激しい水流から離れ、ポヨンと空中を浮遊していた。密猟者の仲間であろう人間たちが滝の下で集まって右往左往している。「大丈夫かーッ!」「今助けるからなーッ!」という必死の声がアマゾンの中にこだまする。
「よ、よかったぁ」
安心したのも束の間、サンギスキーニャの眼前に蜘蛛少女の顔が来た。細めた瞳の奥にある水色、自分をつかむ大きな手は誰かに似ているような気がする、でも焦って思いつかない。
「わたくしの名前は短いの、イクトミ。アナタの半分ほど」
イクトミ、彼女が次に何をするかわからない、この広がる滝壺に自分をひょいと投げ入れるかもしれない。不安と焦りが一気に襲ってきてサンギスキーニャはぶわっと泣き出してしまった。
「ひいっ、う、うぁぁ……!」
「ちょっと……?わたくしが虐めているみたいじゃない、おとうさ……とーちゃんには怖い人から逃げる方法も教わっていないの?」
とーちゃん、その言葉を聞いて安心したのかサンギスキーニャはぽつぽつと話しはじめた。
「とーちゃんには、うぅっ、危ない人間も追手のカニ人もちぎって投げるカニ、サンギスキーニャちゃんにはそれができるカニ、お母さんをいじめた人間もやっつけちゃえば良いカニ!って、言われてるけどぉ……できないよ……ぐすっ、人間さんもカニ人さんも、いたいの、いやだもん、どうして良いか……わかんないからにげるしかなかったの」
ぐずぐずと涙声を漏らすサンギスキーニャ。
「お母さ、かーちゃんはなんて?」
「人間にも他の人魚にもカニ人にも危ない人はいるからとーちゃん、かーちゃんがいない時は一人で出歩かないでねって、一人だと怖くて何もできなくなっちゃうでしょって……」
「かーちゃんが正解、こうして人間にも捕まったし危ない人にも捕まって」
自分を危ない人呼ばわりするイクトミにクスッとサンギスキーニャは笑った。
「あら、やっと笑った、お子ちゃまは機嫌が直るのおはやいこと」
そうイクトミは蜘蛛の手でサンギスキーニャを包み込むと、彼女をも泡玉の中に閉じ込め、風船を持つようにふらふらと二人でその場を立ち去った。
3.蜘蛛の巣
「サンギスキーニャちゃぁん!サンギスキーニャちゃぁん!」
サンギスキーニャを呼ぶ大声がアマゾンの奥から響く。荒々しい生の気配がひしめく密林に相応しくない腑抜けた声が木々の隙間をこだましていた。
ぜぇぜぇと息を切らしつつアマゾン内を走り回る真っ赤な小人がいた。胸元には黒い蝶ネクタイがおしゃれに締められている。
この赤い小人こそがサンギスキーニャのとーちゃんのカニ人である。娘と一緒に地上に遊びに来たまではよかったが、目を離した隙に娘はいなくなってしまった。
地面が妙に杭を打ったようにえぐれている。これは愛娘の足跡に違いない、そう思ったカニ人はその足跡を追ってせっせこせっせことその短い足を走らせる。
密林を抜け開けた視界に、泡玉に包まれてふよふよと浮かぶ我が愛娘が入る。
「サンギスキーニャちゃ……!あっ!!」
泡玉をふよふよと浮かばせて遊ぶ蜘蛛の手が目に入った瞬間、カニ人の顔から血がサァーっと引いた。
闘技場の支配人、ミズグモ社長。その娘であるイクトミが我が愛娘を何があったか知らないが泡玉に閉じ込めて遊んでいる。
サンギスキーニャは秘密の存在だ。カニ人の妻の人魚族はミズグモ社長が育ての親であった。実の娘のように育てられた彼女を旅の途中でカニ人が口説き落としたのだ。カニ人に限らず彼ら魚介人は人魚族よりも遥かに地位が低い。故郷の海で人魚に幾度となく襲われ生死の狭間を彷徨ってきたカニ人はそのことを痛いほどに知っていた。
身分違いの恋はやがて愛の結晶を生んだ、サンギスキーニャである。夫婦はこの子を秘密裏に育てることを約束した。身分違いの恋も人魚族と魚介人との子どもも許されざることなのだと思い悩んでの結果である。
それがあろうことか社長の実の娘に知られてしまった。妻と瓜二つの愛娘の姿を見て勘付かないほどイクトミは愚かではない。カニ人はサッと草陰の中に隠れて様子を伺った。愛娘を助けたい思いと秘密がバラされるかもしれないという恐怖が彼を震えさせる。
「……とーちゃん来ないわねぇ、アナタを忘れているのじゃなくて?」
「そんなことない……とーちゃん、かーちゃんと一緒に世界でいちばん愛してるカニって言ってたもん……」
カニ人の胸は張り裂けそうになった、自分譲りの爪をこすりながらもじもじ反抗する愛娘をそのまま放っておける理性はカニ人にはなかった。
「サンギスキーニャちゃん!」
カニ人はちぎり投げられる恐怖も秘密が暴かれる不安も消し飛んでイクトミの眼前に現れた。足腰はまだプルプルと震えが止まらない。
「あら、あらあらあら!」
蜘蛛の手で体を揺らし笑いつつイクトミの鋭い眼光がカニ人を射抜く。途端にカニ人は恐怖と不安が復活して武者震いは恐怖の震えへと変わった。
「さ、サンギスキーニャちゃんを、か、返して欲しいカニ!!愛娘を誘拐するのは、たとえ社長令嬢といえども、ゆるされなぃカニよぉ」
声が震えてるのがバレバレでイクトミは鼻で笑ってカニ人を見下す。
「こども一人見失うような親に何ができるとお思いで?こんなちんちくりんな父親はわたくし初めて見ましてよ」
彼女はその鋭い爪で一気にカニ人をつまみあげた。「ひぃぃ!!」というカニ人の情けない声は泡の中のサンギスキーニャにも届いてしまう。
「とーちゃんをいじめないで!」
サンギスキーニャは泡玉を爪で割ろうと抵抗している。二人を捕まえたイクトミは大きなため息をついてカニ人をも泡玉に閉じ込め親子二人はやっと再会した。
「とーちゃん!」「サンギスキーニャちゃぁん!」
泣きながら抱き合う二人をイクトミは呆れ果てつつ眺めた。
「どうしてお義姉様はこんなのと……」
イクトミの存在をすっかり忘れたように泣きながら抱き合う二人を泡玉ごと抱き抱え、彼女はゆっくりとアマゾン川の中に沈む。
サンギスキーニャとカニ人の眼前に広がるのは濁流の中でもその上品な蜘蛛の足取りを崩さないイクトミと、だんだんと暗くなっていく世界。
暗闇は泡と倒木と魚たちと、流れゆくものたちの光景を親子に見せる。二人はその光景を眺めつつ抱き合ってぶるぶる震えている。暗闇の中から明るい光がぽつんと現れ、その光はやがて強く川の中を照らしていく。
「お嬢様、おかえりなさいませ」
光に注目したせいでその声の主に全く気付かず親子ともども「わっ!」と声をあげた。
「あら、ゴーストじゃないの、今日もお勤めごくろうさま」
暗闇の中から現れたのはブラックゴーストの人魚だった。彼女は背びれを機敏に動かしひらひらとイクトミの泡の包みの中を眺める。ブラックゴーストの巨大な目玉ににらまれ、親子は失神しそうになった。
「この方々はわたくしのお客、あんまりかまわないであげてくれる?」
そうあしらわれるとブラックゴーストは少々むっとした顔をしつつ、「では、失礼」とその場を泳ぎ去ってしまった。
イクトミはライトアップされた闘技場内のドームを器用に蜘蛛の手で這いつつ、ドームの頂上に到達した。スフィアリンクを真上から見下ろす圧巻の景色に親子ともども「お~!!」と感嘆の声をあげる。
そんな親子を意に返さずイクトミはするするドームをすべり、そのままとある泡玉の中に落ちた。この泡玉は彼女の母が作ったお手製で、そこだけがすっぽり空気で満たされ、イクトミと彼女の家族だけが知っている秘密の部屋であった。
イクトミは泡玉を雑にテーブルの下に滑らす。
「あ!」
「どうしたのとーちゃん?」
「閉じ込められてるの今更思い出したカニ!やばいカニ!だ、だしてくれカニ!!」
慌ててカニ人が叫ぶが、当のイクトミはというと、1本の腕は棚から紅茶の茶葉を取り出し、2本目の腕でお湯を沸かし、3本目の腕は食器を何枚か用意しつつ、4本目の腕はスコーンを取り出している。本体は腕の一本一本の先を眺め、まるで親子のことなど気にかけていない。
4本の腕で器用に用意されるアフタヌーンティーの準備、そして客人は現れた。泡の表面をどぷんと黒曜石のような歯が割って入ってくる。その姿はサンギスキーニャそっくりだ。
「かーちゃん!」「ティラノブデラレックスちゃん!」
二人の声はむなしく泡の中に閉じ込められる。
「イクトミ、話って何……?あたし急いで探さないといけない人がいるの」
「あらあら荒っぽい入り方ね、お義姉さま」
イクトミはぐんと背中の腕を伸ばすと瞬時に割られた部屋の壁を修復する。そうして本体は用意した椅子に座りつつティーカップの中をゆっくりと揺らしている。
「おねえさま、久しぶりにお茶を楽しみましょうよ、家族団らんはお嫌いかしら」
「今はそれどころじゃないの!イクトミ!」
「あら……家族団らんよりも優先される探し人がおりまして?」
イクトミは義姉の必死な姿を見て笑う。対してティラノブデラレックスは体を裂くように開かれた大きな口でグルグルと威嚇するような音を立てていた。
「……あたし、好きな人ができたの、その人たちが行方不明なの、急がなきゃいけないの」
「好きな人がふたり?いやらしい女なのね、お義姉さま」
その途端ティラノブデラレックスの強靭な歯がイクトミに襲い掛かる。歯はイクトミの頬をかすめアフタヌーンティーの用意された豪華な机を割った。
「二人なんて言ってない!あなた何か知っているのねイクトミ!!」
「いやいやっ、乱暴はいやよお義姉さまッ」
イクトミは空中に散らばった食器を腕で拾い上げつつ、笑いながら指で何かをはじいた。はじいた先のティラノブデラレックスに絹のように美しい白さの、それでいてびくともしない強靭な糸がまとわりつく。
「イクトミ、お願いだからはなして!あたしのことは良いからあの子たちのことは……」
イクトミは腕にどうにか拾ったキャラメルスコーンをティラノブデラレックスの口に放り投げる。彼女は突然のスコーンに口が乾き慌ててむせてしまった。
「そんなに大事なの、あの二人が」
「……」
「へえ……」
イクトミはこぼれたティーカップをスカートの裾で拭く。
「わたくしが何も知らないとお思いで?この部屋からは何もかもを見渡せる、それはお義姉さまもよく存じ上げていたはずでしょう?」
「……っ!」
「わたくしに見せつけていると思っていたけど、幸せすぎて思いもつかなかったの?もしかして」
イクトミは笑っている、その表情はあざけているようにも、苦笑いのようにも見える。
「おねがい、あたしのかわいい二人をかえして……」
突然彼女の目元から大粒の涙が流れる。
「そんなに、そんなに大切なの?」
「かーちゃん!!」
その時泡の牢獄はとたんにはじけ、親子は解放された。
「あなた!サンギスキーニャ!!」
「ティラノちゃん大丈夫カニか!?」
親子三人が抱擁する陰で、イクトミはただ一人その後ろに立っていた。
彼女はそのままふらふらと部屋を出ていく、抱き合う親子三人の姿を振り返ってしばらく眺めた後、すっかり暗くなった建物の闇に消えていった。
4.お父様の手
イクトミにはわからなかった。愛を知らないティラノブデラレックスがなぜあんなに家族に愛を注げるのか、あんなちんちくりんの魚介人を伴侶として選んだのか、何にもわからなかった。
地上、アマゾン川の夕焼けは何も答えてくれないが、ただイクトミに静かに寄り添った。
イクトミは滅多に闘技場内には姿を現さない。闘技場のにぎやかな雰囲気はどうしても彼女の孤独を癒してはくれない。
イクトミには人間の父親がいる。竜種であり闘技場の支配人である母親をも惚れさせた人間の男、荒々しい態度の母親とは対照的な淑女的なふるまいは全て父親が教えてくれた。彼女の一番の理解者だった。
もう完璧なレディだねと褒めてくれる父親がいたからこそ今のイクトミがある。そうして愛されて育つうちにもう二十年もたってしまった。二十年は竜種にとってはあっという間だった。しかし人間にとっては違う。若々しかった彼女の父親もやがて白髪が混じり、彼女が大好きだった大きな手にも、しわが何重にも刻まれるようになった。
イクトミは怖かった。母親は支配人としての役割があり、イクトミにかまう時間はほぼない。父親は自分よりはるかに早くいなくなる。義姉ももう自分から離れて立派な母親になってしまった。イクトミだけがずっとあの部屋にひとりぼっちなのだ。母が作り、父が飾り付けてくれて、義姉が遊びに来てくれたあの部屋も、家族みんなでお茶会を開いたあの部屋も、彼女たったひとりぼっちである。
「い、イクトミさん!」
後ろからか弱い声が聞こえた、振り返るとそこにはサンギスキーニャがもじもじハサミをいじりながら立っている。
「あら……わざわざ誘拐犯に話しかけに来たの?」
「でも、イクトミさまはアタシを助けてもくれたから、どこ行っちゃったのかなって」
イクトミはサンギスキーニャをひょいと腕で持ち上げた。まじまじと顔を見る。母親似の顔立ちに、父親譲りの体、そして瞳は父親と母親の瞳の色が混じりあっている。
「……とーちゃんとかーちゃんのことはお好き?」
「大好き!」
イクトミはふふ、と笑った。大好きといったその顔が義姉とそっくり、いや、生き写しだった。
「あなたのかーちゃんもわたくしのこと大好きってかつておっしゃったの、今はそうじゃないかもしれないけれど」
「イクトミさん……」
イクトミは遠くを見つめた後、静かにサンギスキーニャの方を見て笑った。
「わたくし、アナタのかーちゃんのことを知りたかったの、そのためにアナタたちを利用した、そしてああなっちゃった、わたくし、人にものを聞く方法もわからなかったのね」
イクトミはゆっくりとサンギスキーニャの目の前に手を差し出す。少し骨ばった、爪が青く塗られた美しい指にサンギスキーニャが恐る恐るハサミを置いた。
「イクトミさんの手、ミズグモ社長にも似てるけど……あたしのことを撫でてくれたおじさんにもそっくりです。骨ばった、大きい手でした、黒いスーツに、すこし頭がしろっぽくて、金色のブレスレットをつけた手」
「……」
二人の大きさの全く違う手が重なる。義姉と全く似ていないサンギスキーニャの手を握って、それを微笑みながらイクトミはつぶやいた。
「お父さまは全部知っていたのね」
イクトミの父は何もかもを知っていた、知ってなお黙っていたのだ、イクトミにもミズグモにも、愛する家族にも教えなかった。
イクトミはずっと見てきた、突然母が連れてきたであろう異種族の娘をも愛する父親の姿を、実の娘と分け隔てなく義理の娘と接する父の姿を。父はイクトミのことを愛し、ティラノブデラレックスのことも愛していた。だからこそ教えなかったのだ。自分一人の抱える秘密にして義理の娘の愛する人たちをも守ったのだ。短気で物事を即断するミズグモに知られたらどうなるか、父親はよく知っていたのだ。
「サンギスキーニャ」
「?」
「あなたのとーちゃんはどんな人なの?」
サンギスキーニャは目を輝かせた。
「とっても優しいの!あたし、カスキーニャっていう大親友がいて、迷子だったけどとーちゃんがお世話していたの!口は悪いけどカスキーニャのための絵も私のための絵もいっぱい描いてくれるの!」
イクトミはアマゾン奥に浮かぶ月を眺めた、そして少し眺めた後、目元にたまる涙を隠してサンギスキーニャに笑った。
「あなたのとーちゃん、とっても素敵なお父様なのね」
5.巣立ち
闘技場内が大慌てとなったのはその翌日だった。
『外の世界を知りたくなりました、すぐに帰りますのでお父様とお母様は心配なさらないでください』
そう書き置きを残して闘技場の令嬢がいなくなったのだ。ミズグモは急いで部下たちに周囲の見回りと令嬢の捜索を命じた。年末の忙しさに加え令嬢の捜索となるといつにもまして場内は大騒ぎとなった。
「全く人騒がせな子だよ」
そうため息をもらすのは支配人のミズグモである、宝石と豪華絢爛な装飾が立ち並ぶ彼女の部屋に、黒いコートを身にまとうある男が訪れた。
「もうあの子も二十歳だよ、そんなに心配しなくてよいと思うけどねえ」
「家を出ていくって親に伝える良い方法も知らない子が外出て何になるってんだい、ここには全てがあるってのに」
「帰ってくる頃にはわかるようになっているさ」
慌ただしい闘技場の中で、この空間だけが静かに時が流れていく。
「そういえばもう二十歳だと思ってあの子のことずいぶん長く放っておいちまった気がするよ、あの子はまだまだ子どもだってのに」
「僕も年末の出張が重なってあの子に会えていなかったねえ、これは僕たちの反省点だ」
見渡す闘技場内をすっと外に飛び出していく三つの影が見えた。そのうちの一つはティラノブデラレックスである、その顔はひどく慌てていた。
「大好きなおねえちゃんが探してるってのに、ほんと人の気持ちも人魚の気持ちもなんもわかってないねえ、まあ教えてなかったアタシらの責任だけど」
「まあそうカリカリしてもあの子は帰ってこないから」
ミズグモはその手に比べてずいぶんと小さなティーカップを握っている。
「あの子が帰ってきたら家族みんなでお茶会でもするかい、あの子がまだ小さい頃にやっていたことを、あんたとアタシとティラノとあの子で、久しぶりすぎて手順忘れてるけど」
「おや、ティラノの家族とは良いのかい?」
「……あんた、全部知って黙ってたくせに今更なんなんだい、むかつくねえ」
「おや?ええっと……何の話かな?」
「とぼけんなっつってんの」
そう睨みつつも笑うミズグモのティーカップに、紳士は熱い紅茶を流し込んだ。
「イクトミ!!」
ティラノブデラレックスは親子3人でやっとのこと見つけ出したイクトミに呼びかける。
「どうして……どうして突然!この前も今日も……」
「わたくし何もわからないの、お義姉さまのことも、外の世界のことも」
「意味が分からんカニ」
ティラノブデラレックスの後ろからひょいと赤い体が現れた。
「ミズグモ社長に家出しますなんてカニ人は手紙でも恐ろしくて伝えられんカニ、肝座った令嬢ガールカニ」
イクトミはカニ人に近づくと腰をかがめてその顔をじっと見つめた。カニ人はかつての誘拐犯に恐れおののき腰をぬかす。
「何カニか!カニ人のハンサムフェイスをじっと見てもなんも出ないカニ!」
「ふふ、なんでお義姉さまはアナタなんかに惚れたんだか」
「イクトミ……」
ティラノブデラレックスは地面にしりもちをついたカニ人を抱き上げると力いっぱいにぎゅっと抱きしめた。
「この人ははっきり言ってくれたの、ティラノブデラレックス人魚ちゃんのこといじめた人間たちなんか滅ぼしてやるカニ!って、私突拍子もなくて笑っちゃった、そんなことできないだろうけど……でもうれしかったの」
「失礼カニ!カニ人は絶対に人類を滅亡させるカニ!」
「こういうところが大好きなの」
二人の後ろでサンギスキーニャがもじもじとイクトミを眺めている。イクトミはニコッと笑うと、ティラノブデラレックスの腕の中で暴れるカニ人の頭をつんと指で触りその頭を泡で包み込んだ。
「ぎゃっ!何カニか!?また何かするカニ!?」
泡はカニ人の体を一通り包み込むと虹色に変化し、かわいらしい泡のドレスに形を変えた。
「わ!とーちゃんすっごいかわいいよ!!」
「なぬ!カニ人ハンサムすぎてドレスも似合っちゃうカニ」
照れるカニ人とはしゃぐサンギスキーニャをティラノブデラレックスがにこにこと眺めている。自身の幼少期を思い出したイクトミは、静かにサンギスキーニャの頭を撫でると、彼女の頭に泡の冠がいつの間にか乗っていた。
「小さいころ、あなたのかーちゃんもこうしてくれたのよ」
「イクトミ……!」
イクトミがティラノに目配せすると、サンギスキーニャはパッと笑顔を輝かせる。
「ありがとう!イクトミおねえさま!!」
「おねえさま?わたくしあなたのおばさまなのに」
「おねえさまのほうがかっこいいもん!」
くすっと笑うイクトミにドレスアップしたカニ人が話しかける。
「イクトミ様も旅に出るカニか?旅先で合ったらよろしくカニ、カニ人よそのキッズたち連れて陸上進出の旅に戻るカニ、できれば時給の高い仕事めぐんでくれカニ」
「そうだ……!イクトミ!地上はあぶないところなのに、旅なんてしなくても……」
「わたくしを誰だとお思いで?支配人ミズグモと、あのお父様の娘なの、ご心配にはおよばなくてよ」
「アタシもまたとーちゃんと旅に出たい!」
「サンギスキーニャちゃんもまた落ち着いたら一緒に冒険しようカニね」
はしゃぐカニ人一家をよそに、イクトミは遠く地上を見つめる。
「じゃあ、そろそろわたくし出かけますわ、あと……おねえさま」
「なに?イクトミ」
「たくさん迷惑をかけちゃってごめんなさい、わたくし、おねえさまのこと大好き」
そう言ってイクトミはアマゾンの激流の中に消えていった。
「……!!イクトミっ!!」
「__________」
イクトミから発せられた声は、激流の音にのまれ消えてしまった。
「またね!おねぇさま!!」
サンギスキーニャは精一杯、消えていくイクトミの姿にハサミを振る。
「また遊んでね!またね!やくそくだよ!!」
その声はアマゾンの中をとどろいて、どこまでも届いていた。
6.エピローグ
南米のとある密林で、二人の子供が人間たちに囲まれている。
「人魚の子どもは高く売れる!おまえたち油断するなよ!!」
「悪者はゆるさん!いくぞコメット!!正義の鉄槌をやつらに浴びせるのだ!!」
「ジャカレ、おぬしだけでもその悪者たちなどペシャンコにできるじゃろ、まあ、わらわがやれば細切れにできるんじゃがのう……」
好戦的な二人の子どもに人間たちはたじろいでいた。二人は高名な淡水の人魚の娘たちだ。あまりの血気迫る臨戦態勢に人間たちの中では腰を抜かすものもあらわれた。
「や、やるしかねえ……いくぞ!」
「まいるぞジャカレ、人間たちの死体の山の数で勝負じゃ!」
「コメットあんた悪趣味すぎ!」
そう言い終わらぬうちに、飛び込んでくる人間たちが突然宙に浮いた。二人はぽかんとして空中で叫ぶ人間たちを眺めている。
「コメットあんたなんかした?」「いや……」
空中に浮かぶ人間たちを薄目で目を凝らして眺めてみる。よく見ると薄い膜に包まれている様子である。
「面白い子たち」
密林の奥からぬっと現れたのは四つの鋭い爪、二人はとっさに身構えた。
「新しいのが来た!今度は強敵っぽいぞコメット!」
「見るからに竜種の血が濃いのお……、わらわの術は効くかのお」
再び臨戦態勢になる二人をくすくすと笑うのは小柄な娘。
「やあね、わたくしは戦い方なんて知らないの、そういうことをしに来たのではなくってよ」
蜘蛛の手の隙間からまた新たな異形の子が現れる。
「イクトミ、こやつらはそれがしの母上殿のことを存じておるだろうか」
「自分の出自のことも知ってるやつがいればよいのだが」
少女の隙間から現れた二人は、片方は黒の大太刀を背負い、もう片方は異様なほどの白い肌に大きく黒いこぶしを握っている。
「お、お前たち何者だ!うちらの敵か!」「なかなか面白いメンツじゃのう」
イクトミはくすくすと笑いながら二人を蜘蛛の手で抱き寄せた。
「ふふふ、わたくしたち自分探しの旅をしているの、あなたたちもご一緒にいかがかしら」
7.登場人物紹介
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