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【エッセイ】Aha! Aha!

「ここら辺一帯はもう全部かわっちゃったのねえ」

「あーはいはい、まさしく」

「もうあそこも取り壊しちゃって、ねえ、変わっちゃうのねえ」

「そうですねー、あはあは」

休職期間になってからというもの運動不足が続き体重が10キロは増えた。

急激な体重増加のせいか、それとも元からだっただろうか、太もものあたりには石のような脂肪の塊がついており、これを少しでも落としたいと天気の良い日はジョギングするようにしていた。

太ももの表面は脂肪が岩石のようにぼこぼこと浮きあがっており、これを落とさなければ心身の負荷からの開放は得られない気がしていた。

生まれた時から太っていた。隣の赤ちゃんの倍はあったらしい。

1才から3才の間はやせていた。瘦せていたらしいと言った方が正しい。そのころの記憶は全くなく写真でしか痩せていたころの自分は確認できなかった。

つまり生まれてきてからの記憶の中だと私は常に太っていた。

太っているせいかよく包容力がある、優しい子、安心できると言われやすい。では痩せていたら自分はどう見えるのか、最近はそれが非常に気になってきている。

岩石を掘り起こしたら出てくるのは宝石か、マグマか、鉄くずか。

それが気になってジョギングを始めた、が、体力がない。体力がないので全力でダッシュして一休みで歩く、また疲れが取れたら全力でダッシュ、そして歩く行為を繰り返していた。この一連の繰り返しはジョギングですらなかったが、出かける際の理由として通りが良いのでこの名前で通していた。

ところで太っている=優しいというイメージはどこから来るのだろうか。小学生のころ、私をデブ!といじめてきた男子も太っていたし、高校生の頃、私に繰り返し行われた嫌がらせを黙認していたのは太っている教師であった。

人生の中で確かに太っていて優しい人もいた。でもほかの体型の人と比べて特段多いという記憶はない。このイメージはどこからきているのか謎であった。

では太っている=話しかけられやすいという式は成り立つのだろうか、ジョギング中によく見知らぬおばあさんに話しかけられる。同一人物ではない。

ある時は少し小太りのおばあさんにこう叫ばれた。

「若いうちは食っていいんだよ!そんな走るのなんてやめとき!」

そのまま説教が続き30分くらいしてやっと解放された。これが高校生の頃の話で、言いたいことはわかるかもしれないが、若者の30分を使ってやる話でもないなとも今では思う。

こういうことがかなりの数あったので、話をうやむやにして逃げる方法が確立された。

今日もまた見知らぬおばあさんに話しかけられた。

場所は大型の水鳥がよく現れる自然豊かな公園。バードウォッチング用であろう首から下げた双眼鏡をこちらに向け、私に突然話しかけてくる。

「ねえ、かわちゃったわよねえ!ここら一帯!」

「あっはあ、そうですねえあはあ」

あはあは!

そうですねえ!

うん!なるほどお!

そう言ってヘラヘラしてさえいればよかった。

Aha! Aha!

それは魔法の言葉

aha! aha!

そう言いながらジョギングに戻るふりをして足早にその場所から逃げてきた。

脂肪という岩石を砕けばそこから何かが出てきて、そうして話しかけられる機会は減るかもしれない。

いつ叶えられるか分からない希望的観測をしながら、とりあえず疲れるまで重い足を持ち上げ持ち上げ、走り去った。

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