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あの夜、スライムにおそわれた勇者の如く、僕は映画に殴られた。グーで。


どっちだ?
こっちか?!
こっちだね!!


黒髪の子はさすがに若すぎるもんな。でもこの金髪の方は大人っぽいし、おっぱい出してくれそうな気がするんだよなぁ!!!


興奮する僕を後押しするのは僕自身の直感。


その通りだよヒロシ。可能性はゼロじゃない。

ヒロシって僕です。高校時代の僕です。


あわよくばおっぱい!と見始めた映画だったが、とりたてて色っぽいシーンも無く終わる。可能性はゼロのままだった。でも不思議と満足。時間は深夜の1時すぎ。


翌日、クラスでは黒髪の子の可愛いらしさが話題になる。みんな夜中まで見てたんだね。映画のタイトルは「ルーカスの初恋メモリー」


予期せぬ出会いだった。そしてこの時代、予期せぬ出会いはそこいらじゅうに転がっていた。



◇◇◇



テレビで映画が流れなくなったのはいつ頃からか。


いきなり問いかけから入ってみたが、異論反論があちこちから飛んできそうだ。


もちろん今でもテレビで映画は見られる。BSや動画配信サービスまで含めれば昔とは比較にならないほどの作品が流れている。分かってます。分かってるから怒んないで。


ここで僕が語りたいのは「地上波で、深夜や昼間のスキマ時間に予備知識なく姿を現す映画」のこと。


僕は80年代から90年代にかけて青春時代を送った世代なんだけど、そのころはスキマ時間に結構な数の映画が流されていた。週末ともなると複数の局で映画が見られたものだ。


べつに「昔はよかった」なんて話がしたいわけじゃない。昔より現代の視聴環境の方が明らかに便利だ。


ただ、この便利さゆえに失われたものがある。それを僕は「エンカウントの喪失」と呼んでいる。2分ほど前からそう呼び始めた。


エンカウントと聞いてピンと来ない方はドラクエのようなRPGを思い出してほしい。


マップ上を歩いてたらモンスターと鉢あわせしテロレロレロンと否応なしに戦闘に入るアレね。あれがエンカウント。「遭遇」のことです。


アマプラやNetflixといった動画配信サービスでも未見の映画を目にすることは勿論ある。しかし上に書いたエンカウントとは根本的に違いがある。


知らないことが多いほど、エンカウントの面白さ( そして怖さ )は増すのだが、今の時代「知らないままでいること」は、とても難しい。


知らない作品でも、ちょっとググればスタッフもキャストもすぐに分かる。あらすじもラストまで大方把握できるし、ナビゲーションバーを動かせば送り戻しも自由自在だ。自由自在におっぱいの有無が確認できる。有能。


見始めて、合いそうに無ければ消せばいい。消してもホーム画面に「関連作品」や「オススメ」がポンポン出てくる。選択肢は無数にある。


消された映画が、かえりみられる可能性は低いだろう。とても合理的だ。でも映画と言う素晴らしい創作物を味わうには、少しもったいないのだ。



◇◇◇



また、高校時代の話。


深夜にテレビをつけると知らない映画。美形の金髪女性とあまり美形では無い男が森を歩いている。


筋が見えない上に話してる言語もナゾだ。英語じゃないことしか分からない。しかし、そんなのは些末なこと。


僕の直感がささやくんだ。
ヒロシ、今度こそエロくなるよ
ヒロシって僕です。


このまま見続ければきっとおっぱいが出てくるぞ。ドキドキしてるうちに別の黒髪女性が出てくる。まだ金髪も脱いでないのに新顔の投入とはぜいたくだな。しかも黒髪新人の美しさといったら!!


で、どっち?


どっちも素敵だが、願わくば黒髪の方に脱いでもらいたい。嗚呼、でも金髪でもいい。僕はどうしたらいいんだろう?どちらを選べばみんな幸せになれるんだろう?


こっちだな。
黒髪だ。
今度こそ出るんだね?!!


そのとおり。この黒髪が出すんだよ。


頭の奥から声がする。
そんな気がした午前2時。



最後までおっぱいは出ない。
おしりも出ない。
黒髪が滑走路を走って映画は終わった。
なんだそれ。



なんだそれとは言いつつも鮮烈に残る音と色。本当になんなんだろうな、この映画。


コタツの上のTVガイドを手に取る。念のため言っておくけどTVガイドってウェブサイトじゃ無いよ。刷り物だよ。


物理的スペースの限られた紙のテレビ欄は、深夜映画に大した文字数を割きはしない。



「汚れた血」1986【仏】



これだけしか書いていない。


せめて


「汚れた血」1986【仏】
※おっぱいは出ません。



そう書いてくれたら、深夜の2時間を費やすことはなかった。



◇◇◇


もしこれが今の時代なら、と仮定してみる。


深夜テレビに謎の映画が映る。そこまでは昔と一緒だ。


だが、今なら、ボタン一つでタイトルが分かる。名前が分かると大半の謎は消える。


とりあえずググるかな。WOWOWの映画紹介がヒットした。ちょこっと引用。


「仏映画界の恐るべき神童L・カラックス監督が「ボーイ・ミーツ・ガール」に続き発表。斬新な演出で世界中の観客を熱狂させ、彼の名声と評価を決定づけた衝撃の長編第2作」


果たして、これを読んだ高校生の僕は最後まで見続けただろうか。


早々に見切りをつけた気がするよ。フランスって時点で難解そうだし、チャック・ノリスも出てきそうに無い。何より、おっぱい感がゼロだ。そうなると、まず見ない。


そして、もし見なかったら、国立理系から私立文系に進路変更はしなかっただろう。文学部フランス語学科なんてツブシの利かない所には行かなかったはずだ。


◇◇◇


これは僕の進路に関わった特殊な例だが、エンカウントはそんな大げさなものだけじゃ無い。


おっぱいがゾンビに変身しサメは未亡人を追い回す。ドンパチに次ぐカーチェイス、チャンバラに次ぐカンフー、ヒドゥンに次ぐゼイリブ。地中に控えしトレマーズ。正月にはトラック野郎が爆走し、大みそかの深夜にはたけしがメリークリスマスと微笑む。


安っぽく、馬鹿らしく、そして傑作もある、多彩な遭遇がそこかしこに存在していた。


人生の90分から120分を削る。その見返りに、映画という創作物のすばらしさを知る。ランダムエンカウントでひたすらスライムを倒してるうちに、知らず知らずレベルアップしていたドラクエの勇者同様に。


繰りかえすが「昔はよかった」で「今」を否定したいわけでは無い。


アレやコレや調べた上で、満を持しておっぱいを視聴出来る今の環境は本当に助かる。もう高校生じゃない。時間が無いんだからさ。


ただ、あの頃の、巻き込まれるようなエンカウントがとても魅力的に思い出されるのも本心だ。



件の「汚れた血」にとても美しい台詞がある。


"Si je passe à côté de toi , je passe à côté de tout."


"もし君とすれ違ってしまったら世界中とすれ違うことになる"



すれ違うことなく遭遇できますように。
僕もあなたも。
可能性はゼロじゃない。



......

写真と文:マスダヒロシ

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