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天命に生きるほど感謝に溢れる。|2020/11/16

ビッグプロジェクトが終わると、とてつもない虚無感と寂しさとに駆られ、その後一週間くらいは機能しないことが多々ある。
周りから「生前葬」などと表現していただくほど、人生の中でもまたとない最大級のプロジェクトだったので、これはもうその後抜け殻で使い物にならないのでは?と覚悟していたのだが、終わって一週間経った今も燃え尽きた感は一切なく走り続けられている。
当日を過ごしながら薄々気づいていたことだが「区切りでもなんでもなく、またここからすべてスタートだ。」と。とても大きな意味を持つ一日でありつつ、あくまでも人生の中の一日なんだなあという感覚を持って過ごしていた。

その日、その場所で。

"きょう死んで後悔することをきょうやる"
”感謝を伝えられなくて後悔する人にお声がけする”

この想いで春先から計画していた節目、"20201107"。

人生の感謝を伝える節目。
30歳の生誕記念としての節目。
強く生き抜くための覚悟の節目。

会場となったMAYA Kamakura。ふたつある名前の由来のひとつはサンスクリット語の「MAYA」というワードからきているんだそう。

”現実に存在すると考えられる物質世界が幻影であるとするもの”

つまり、幻のような時間であり、空間であり、体験。

この由来を知ったのは会のすべてが終わって翌日、MAYAの広々としたリビングで庭を眺めながら話しをしていた時。一瞬で過ぎ去った幻のような一日は、このMAYAだからこそつくられた唯一無二の時間だったのだと。すべてがここで繋がって、感情がこみ上げた。

僕の人生で特別なゲスト、会場には来れなかったものの想いを届けてくださった誰が欠けてもあの時間が成立しなかったことは言うまではないが、MAYAという会場に出会えたことも必要不可欠なピースであった。

それぞれの”20201107”

会のタイトル”20201107”には、それぞれの人生に、それぞれの形でこの日を共有したってこと刻んで欲しいという願いを込めた。
つまり、特別なゲストからのフィードバックも、この会を彩り、カタチづくる大切な要素。全員分は残せないが、あるおふたりからいただいたものがとても印象的だった。

こちらこそ!素敵な時間をありがとう!
まきだけじゃなく自分の人生にも意味のある1日になったよ。いやーおもしろいですなほんとに。人生っていいよね〜。
あの会通して自分が感謝を伝えるならどういう顔ぶれになるんだろうとか考えたりね。ここのターニングポイントでこの人いたなとか思い出したりして、自分のルーツみたいなものをなんか具に思い返してたよ。近い人を大事にしようとも改めて思ったなー。とりあえず書ききれないけど、あとで思い返してみて、案外ターニングポイントになった日になりそうな気がしているよ。
変わらずよろしく!あとくれぐれも身体を大切にね。
こちらこそ、素敵なお誕生日会に招待してくれてありがとう!
槇君を見ていると、(こういう運命を生きる事を今世の目標にするぞ!)と決めてこの世に誕生してきたんじゃないかと思うほど、向かうべき道を真っ直ぐ突き進んでるなーという気がしています✨

私の好きな本に小林正観さんの「ありがとうの神様」というのがあって、その帯に「病気が治った人の共通点は、病気になったことに感謝した人」という言葉があります。
確かに感謝ほど人のエネルギーを清く美しくするものはこの世に無いな~と思います。
最近槇君を見るたびにこの言葉が浮かんできます😊

私たちのマインドは「無い」がデフォルトみたいになっていて、私にはあれが無い、これが無い…だから私は不幸だ…みたいに思いがちだけど…
本当は必要なものは既に全て持っていて、あれも有る、これも有る、だから私は恵まれてる。ありがとう…が正解なんだよね。

人生は選択の連続だけど、人は皆、最良の選択をした結果今が有ると私は思います。
だから今がベストなのです。

そして人は過去にも未来にも生きられません。
今しか生きられないのだから、今が一番大切で今に感謝するべきなのです

槇君に書いているようで、自分に向かって書いてます(笑)

次会えるのを楽しみにしてるよー!!😍

”20201107”とはなんだったのか、伝えたかったことはなんだったのか。その答えがすべてここに凝縮されているように思えて、何度も何度も読み返した。

「感謝」

招待したゲストはひとりひとりにエピソードがある、約130名の方々にお越しいただいた。
毎日のように顔を合わせるご近所さん、数年ぶりに再会する同級生、東京暮らしをしていた頃の飲み仲間、今尚現役で活躍して刺激をもらっているアスリート、ふたり部屋の病室で人生を語り合った戦友。
人生でお世話になった方々をあげればキリがないが、お声がけしたのは節目をつくってくださった方、生き方・考え方に大きな影響を与えてくださった方ばかり。
「懐かしい」「嬉しい」という感情よりも「ありがとう」で頭がいっぱいになっていった。

中でも、特別な感謝を伝えたいのは、僕の人生最大のわがままを実現すべく一緒に動いてくださった方々。

まず、この日を開催できたことにおめでとうと言ってくださったCRAZYの永栄 梨紗さん。
「大切な人が突然亡くなってお別れの会に出た時、遺影に向かって語りかけたが、返答はない。当たり前だけどとても虚しい。」
2020年2月、病気の悪化を報告しに行った際に体験談を聞かせていただいたことから、この企画は始まりました。りささんのひと言から、お互いに想いを伝え合える機会をつくることができました。ウェディングに続いて、祝いの節目をつくってくださりありがとうございます。

当日、文字を書き続けていただいた北村 磨さん。Tシャツで想いを伝えることになるとは春には想像もしていませんでしたが、ひとりひとりとの関係性を振り返り、おさむさんに表現していただくことで、僕の人生においてゲストの存在、関係性はより特別なものになりました。流れ作業になってもおかしくないボリューム、一枚一枚丁寧に仕上げてくださり、本当にありがとうございます。

僕の人生の師匠でもあり、人生で一番ビールを飲み明かした仲間でもあり、病気のことを誰よりも相談してきた佐藤 雄太さん。
雄太さんがくださった気づき、学びがなければ”20201107”にはたどりついていません。磨さんに出会えたのも、雄太さんあってのこと。誰よりも人生で影響を与えてくださった存在、本当にありがとうございます。

そして開催にあたり、ビールをご協賛いただいた神奈川・厚木のブルワリー「サンクトガーレン」社長の岩本 伸久さん。オリジナルラベルで無理なお願いを聞いてくださり、商品受取り時には工場見学や試飲、最後には協賛をお申出いただき、何とお礼をお伝えすればいいのか。「元気になったら奢ってね!」この言葉を励みに、必ず寛解させます。ありがとうございます。

世界で一枚しかないTシャツを、一人一人その場でデザインしてお渡しする。
そのベースになるTシャツの素材、そしてイベントオリジナルタグの付け替えを一手に、物凄いスピードで引き受けてくださったのは福井県、イカワ企画の中山 洋司さん。横浜までサンプルを持って会いに来てくださり、Tシャツが間に合うか、言ったはいいが本当にできるのか...一番不安だったことが、中山さんと出会ってすぐに消し飛びました。本当にありがとうございます。

なんと言っても、特別な空間を提供してくださったMAYAのお三方。高村 快人さん、田淵 三菜さん、吉田 ゆきのさん。
あの日に至るまでの準備、そしてあの日あの場所で起きた事、そこから得た人生の道標。すべてMAYAでなければあり得ませんでした。素敵な空間を生み出し、提供いただいた事、一生忘れません。ありがとうございます。

誰もが初めての経験の中、当日スタッフとして協力してくれた田中 一太、浅香 豪、涌井 一輝、松山 大成くん。
4人なくして当日の運営は成り立ちませんでした。人生で色濃く付き合ってきた間柄だからこそ頼めたとは言え、改めてそんな仲間に出会えた事、心の底から感謝しています。ありがとう。

最後に、毎日新聞の生野さん。僕の生き方に興味を持って取り上げてくださり、本当に感謝しております。ありがとうございます。

「天命」

たくさんの感謝を重ねて、僕の人生ミッションはより鮮明になった。

「生きて、生きることを伝えていく。」

命は与えられたもので、生きることには必ず意味がある。
つまりこれは、僕の天命なんだとも思う。

今日死んで後悔することは今やる。
生きるためにできることはぜんぶやる。
命あることに感謝して、今この瞬間に命を燃やし続ける。

そして、生きることを伝え続ける。

病気を経験した僕にとって、生きることは非常にシンプルだ。
同時に、自分だけの命ではないということも強く意識するようになった。もちろん家族の存在はとてつもなく大きい。でもそれと同じくらい、僕の命は誰かの光や希望になってこそ、つまり他の誰かのために燃やすものでもあるのだと思い始めている。
自分が与えてもらうばかりの人生は、もう十分すぎるほど経験させてもらった。今度こそ、恩返しをしていく番。30年間の人生を彩ってくれた方々、これから出会う方々、僕と出会った方にちょっとでも、人生のハッピーを感じてもらえるように。

節目の意味。

「感謝」と「天命」
これが人生最大の節目”20201107”を表現するキーワード。
人生を振り返ってみると、それぞれの節目の持つ意味合いは時間の経過とともに変化してきた。大事なことは、往々にして後になって気づく。気づくというよりは、点と点が繋がる瞬間がくるという感覚かもしれない。
きっと、今回も同様なんだろう。いつかどこかで、ふと繋がる時がくる。
夢にも見ないような未来、点と点が繋がるその瞬間を楽しみに丁寧に全力で、いまこの瞬間を生きていきたい。

脳腫瘍は生きる意味を見つめさせてくれた人生最大のギフト。
まだまだ終われるわけがない、僕は生きる。

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