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恩返しの人生。|2020/10/30

「聞いていいのかわからないけど…」

やっぱり、病気のことは一般的にはセンシティブ。
どんなに親しい仲でも、こうして前置きされることは多い。
”患者”に対しての気遣いに感謝しつつ、僕の場合は病気とそれに対する心情をフルオープンにすると決めているので、なんら問題ない。
オープンにすることで病気をより深く受け入れ、付き合い方をその都度アップデートできている。情報やモノを届けてくれる知人に恵まれ、新たな出会いが生まれてきたのも、このスタンスでいることが大きいだろう。

病気はオープンにすることで悪化する人と快方に向かう人に分かれると聞く。(そりゃどっちかしかないか...)
周囲から心配されることで、自分には病気があるんだと、どちらかと言えば負の思考スパイラルに陥ってしまうパターン。
心配の声もエネルギーに変えて、プラスに転じていくパターン。
どちらもおかれた環境や背景、性格が大きく影響してくるだろうから、安易にオープンにすることを推奨するわけではないが、僕はこうして病気と向き合い、人生において意味のあるものだと考られるに至っている

”生前葬 ”
良くも悪くも、タイトルがキャッチーだったこともあってか、新聞に記事が掲載されて想像以上の反響があった。
毎日新聞の生野さんにも当然、ありのままお話ししたので記事にしていただいたことは嘘も見栄も一切ない、30歳の僕が思っていることそのままだ。

ライフガードの事務所を調べて手紙を送ってくださった方。
鎌倉市や大学の同窓会事務局に問い合わせをしてまで情報を届けようとしてくださった方。
SNSで探してメッセージをくれた方。

何かできることはないか?この一心で、会ったこともない行動を起こしてくださったことには感謝と心強さしかない。


病気して失ったものってなんだろう?

ふと考えてみたが、ほとんど思いつかない。

それに費やした時間や体力も学びと生きる活力になっていると心底思っているし、例えば手術後2週間ほど、右手足が思い通りに動かなかったことは、経験したくてもできない大切な人生のネタだ。

健康で過ごしていける未来、こんな保証はどこにもない。
どこにもないんだから、失ったものなどなにもない。

逆に得たものが多すぎて、20代後半あたりから「恩返しの人生を生きる」と宣言しているはずなのに、30歳にしてまだまだ与えてもらってばかりの感覚でいる。

”20201107”

そんな僕が、今日死んだら後悔することをやると誓って動いてきたイベント。

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生誕祭でもなければ、偲ぶ会でもない。
生前葬ともまた違う、感謝と想いを伝える場。

それぞれの人生を生きる中で、この日を共有したんだって証。
それぞれの人生にそれぞれの形でこの日を刻んで欲しいって願い。

シンプルなタイトルには、こんな想いを込めた。

きっと誰も経験したことのない、主催する僕でさえ何が起こるか想像しきれていない静かな高揚感。
間違いなく、いま僕の生きるモチベーションはここに向いている。


『自分の人生の終え方を、自分で決めること』

人は、生まれた時からいまこの瞬間も終わりに向かって走っている
この紛れもない事実から目を逸らさず、終わりをイメージし、そのためにいまの在り方、生き方を定めていくことが、僕にとっての終活の定義。

”20201107”

いまの僕にとっての大きなゴールであり、生きる活力。
今日の治療時、この話しをした時が一番脳が活性化していたそう。客観的にも、今のモチベーションが証明されてしまった。なんとわかりやすい。

きょう死んで後悔することをいまやる。

人生を豊かにしてくれた方々への感謝を伝えられないことは、人生の後悔だと。厚かましいけれど、会いにきてください。これが僕から皆さんへの、ささやかだけど精一杯の恩返し。

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