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「私」の小さな本屋

 私の本業は本屋だ。本屋と言っても大きい物ではなく、商店街の一角のスナック跡に本棚を運び入れ、自分で選んだ本を並べている程度のものだ。時折、近隣の住民が訪れたり、学生が課題図書の注文に来るほかは暇だった。
 店番の傍ら、本の紹介と感想の中間のようなものををしたためたりしていた。自分で印刷して店先に掲げていたが、知人のつてで出版社のPR雑誌に掲載されたりした。そうやって不定期に掲載されていた記事の数が溜まり、ついに単行本として出してもらえる運びとなった。200ページほどの本の背表紙に自身の名が掲げてあるのは、非常に誇らしいものだった。
 ただ、本として出すにあたり過去の記事を見返したところ、あまり記憶にないものもあった。書いた覚えのない記事や、読んだ覚えのない本の書評。人の記憶は曖昧なもので、PR雑誌に掲載されていたという事実がなければ、私も思い出すことができなかったかも知れない。
 こうして自分で書いた原稿の記憶でも曖昧なのだから、他人の記憶など一層曖昧なのだろう。私が本を出すにあたり、普段よりも多めに仕入れて店に並べた。すると近隣の住民がやってきて、口々にほめたたえ、手に取ってくれた。自分の知ってる人物が本を出すという大イベントに、店を訪れた客は口々に私を誉め、「本を出すなんて立派になって」と口にした。
 だが、気になることがあった。「あんなに小さな本屋だったのに」という言葉だ。私は最初からこのスナック跡で店を開いている。だが、古くから知るお客たちは「私」は最初、ポストの側にいすを置き、広げたシートの上に本を並べて売っていたという。そしてその数冊の紹介文を「私」がしたためたものが取りまとめられ、こうして刊行されたようなのだ。
 面倒だったので私は曖昧に笑い、礼を述べた。しかし一方で気になるところもあった。ポストの側に座っていた「私」は、どんな本を売っていたのだろう。

サークルDDSMDの広報担当です。ツィッターとかご覧ください。@twelveth_moon