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東京12チャンネル時代の国際プロレス(2)


IWGPvsGHC

新日本プロレストップIWGP王者とプロレスリングノアトップGHC王者の試合が決行された。オカダ対清宮。さらにはジュニアヘビー級王者同士のカードも組まれた。これには驚いた。
オールドファンならば、こういったカードが発表されたのち、当日までにどちらかが王者から転落するのが定石と考えるからだ。現に両選手とも当日までにタイトルマッチが控えており、いずれかの試合でどちらかがタイトルを失い当日を迎えるのだろうと予想していた。
しかし両選手とも防衛を果たし当日を迎えることになった。
おやっ?おかしいぞと首をかしげる。
試合時間に目を移す。30分1本勝負。
そうか。これは時間切れ引き分けという流れがあるか。

しかし今度は当日になり、急遽時間無制限一本勝負に変更される(ただこの発表を試合直前まで知らなかった人は多いとは思われる。いくらSNSが発達したからとはいえ、さすがに平日の当日発表では目にできないことも考えられる)。謎は膨らむばかりだ。もしかしたら…

結果はIWGP世界王者オカダカズチカの完勝。勝負タイムは30分をあっさりと切る16分32秒。近年のビッグマッチでは短時間の部類に入る。ノンタイトル戦ゆえタイトルの移動はないが、それにしてもここまで完全に決着がつくとは驚きだ。昔の話ばかりで恐縮だが、両者リングアウト、反則裁定などが排除されつつある現在のプロレスはある意味健全と言える。しかし、これまでのプロレスが健全性を損なってまでも完全決着を嫌っていたのには理由がある。それがこの本での国際プロレス吉原社長と東京12チャンネルプロデューサー田中元和氏の対立軸である。

プロレスにおけるホメオスタシス

当時は田中氏の主張が一般的なものだったように思われる。対抗戦では団体間の格や序列が明確にならず、観客がイーブンに感じる決着が望ましいという主張だ。12チャンネルとしては、全日本を放送する日テレ、新日本のテレ朝(NET)に視聴率で対抗する必要がある。キー局として同じ土俵に立てないまでもテレビ局同士の視聴率戦争を戦わねばならない。
この戦いを続けるためには他団体に比べて格で見劣りすることがあってはならない。12chにとって、国際が全日本、新日本と対抗戦を行う際に絶対譲れぬ生命線だ。対抗戦そのものがなければこの格は明確にはなりにくい。いわばファンが望む健全性とは異なる部分で、団体ひいては番組存続のホメオスタシス(恒常性)が働く。

吉原社長は、よい試合をすれば客は満足すると考えた。興行収入も上がり視聴率も跳ねると考えた。経営的にみてこの考え方に間違いはない。しかし、よい商品が必ず売れるかといえばそれはまた違う。「よい」は顧客満足を得るための必要最低条件でしかない。
吉原社長は対抗戦に踏み切った。対抗戦は禁断の果実でもある。それぞれの団体の威信をかけた戦いや、日頃観ることが叶わないマッチメイクにファンは熱狂する。そのためいっときは盛り上がりを見せる。しかし、どの世界もそうだが慣れてくると飽きが来る。対抗戦も同様だ。そのなかで最後に何が残るのかといえば、やはり団体としての格、いわばブランドだ。

よいものさえ提供すればお客様は満足すると人は誰もが思いたい。マーケティングの理想ともいえる。ただ、そうはなりにくいだけにいろいろと考える必要が出てくる。中・長期的な視点で戦略を練る。

田中氏はメモの中で、吉原社長のそれは理想であり何年後かには実現されるかもしれないが今はその時期ではない、と断言している。つまりは吉原社長の考える「内容重視」では、団体としての格を落としかねない、序列を生みかねないと危惧していた。実際、国際プロレス崩壊の第一歩は一見隆興に見えた全日本、新日本との対抗戦から始まったと記されている。短期的な成果により中・長期の展望が欠落してしまった。団体経営に余裕がなく、短期的な成果に走らざるをえない状況であれば仕方のない話であったのかもしれない。だが、田中氏のメモでは12chにおいて国際プロレスは良質なパッケージだったと記されている。目先の成果を急ぐ必要はなかった。
対抗戦では国際のトップレスラーが新日本、全日本の中堅どころに負け、直接のエース対決も完敗。格が鮮明になってしまった。田中氏のメモからは、目先にこだわったと思われる吉原社長の決断に対する無念がうかがえる。

健全性とプロレスのパッケージ化

国際プロレス崩壊から40年が経つ。
東京ドームでは格の違いが明確になった。IWGP>GHC=新日本>ノア。
ドームでは、全日本世界タッグ王者青柳優馬がベルトを持っていない拳王にタッグでフォール負けしている。直接的ではないがノア>全日本も成立しそうだ。となれば新日本>ノア>全日本か? 新日本永田が全日本の最高峰ベルト三冠王者である事実もこの公式を後押ししそうだ。昨年から今年にかけてGHCシングル、タッグを腰に巻いた新日本小島は、団体復帰後6人タッグでピンを取られるポジションに落ち着いており、新日本内でタイトル戦線に絡むことはないように思われる。

格や序列を考えなくてよい世界は健全かもしれない。今やそんなことを抜きに楽しむべきなのだろう。目の前に繰り広げられる戦いを。
しかし、少なくともボクのようにプロレスを考えたり、語りたい人間にとってはやはり物足りなさが残ってしまう。「目の前の試合」は事実だが、そこに至る過程やそれぞれが抱える想いに自らを重ね合わせ想像することが「他に比類なきジャンル」としてのプロレスの楽しみだからだ。幾通りのストーリーがあった。アントニオ猪木のストーリーにはボクらが想像し得ないハプニングが山ほどあった。その戦いに魂を揺り動かされた。

今や序列や格が意味をなさない、「よい」試合こそが支持される理想の時代が来たのかもしれない。田中氏が「いずれ来るだろう」と語った時代がようやく訪れたのだろうか。
ただそれと共に零れ落ちていく何かもあるような気がしてならない。
どうでもよいことなのだが、オカダvs清宮戦の試合時間変更、そしてその勝負タイム(結果)はボクにとって最大の謎かけなのだがプロレスマスコミ含めほとんどスルーされている。I編集長ならば語ってくれたかな?

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